環境の世紀VII  [HOME] > [講義録] > 7/14 「最終回ディスカッション」(討議:学生の質問3)

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最終回ディスカッション7月14日
司会:丸山真人教官紹介
パネリスト:鬼頭秀一講義録教官紹介
後藤則行講義録教官紹介
■ 丸山 :

 時間がだいぶんなくなってきてますけど、もう少し質問を受け付けたいと思います。コメントのある方は手を挙げてください。

■ 学生3 :


学生3による質問

 先生とみなさんにどう思うかを考えてほしいんですけど、まず、システムというのは総合的なものなので、どこかを変えても変わるものじゃないと思うんです。だから、今実際に温暖化で対策を取っているのが科学技術だけなんですが、部分的に変えていっても最終的にはすぐに結果がでるものではないと思うんですよ。そこで、対策していこうとすると、どうしても誰にとって利益があるかというのが問題になっちゃって、根本的な解決には絶対にならないと思うんですよ。

 それで、さっき丸山先生がおっしゃったように、最終的には50%という考え方が一番大切だと思うので、そうすると、どうしても価値観を変えないとどうしようもないですね。そうすると、鬼頭先生もおっしゃったように、民主主義というのは多くの人々が一番変わらなければならなくて、そうしたら、まず教育で変えなければならないと思うんですよ。教育を変えるというのは今になって、大部分が大人なのでどうしようもないので、教育で変えるというのは不可能に近いと思うんですよ。

 そうすると、私がこれならいけるんじゃないかと思うのが、情報網が今発達しているんだから、どうせならそれを利用して、大人が変わらないと子供の教育は無理だから、まず大人の価値観を変えるんです。それはすぐ効果は絶対出ないと思うんですが、忍耐強くやればどうかなと思うんです。後藤先生が環境庁というのを聞いて、国として長期的ビジョンを構築していける状態にあるのかというのが少しでも可能なのかというのが知りたいです。




■ 後藤 :

 私自身は嫌われながらもそういうことはよく言ってますよ。この前も、運輸省で呼ばれてですね、グリーン税、炭素税とかですね、そういうのを他の省庁に先がけてやりたいというのがあって。学者は単純な発想じゃなくて、税というのは国の形を決める骨格ですので、そういうのを対極的に見ながら、その中のファーストステップとして温暖化対策の炭素税を考えようという議論が続いております。ご存知のように民主主義ですから、政治家が、あるいは国民の代表というふうに考えれば国民が決めるわけですが、政治家は選挙があって色々あって忙しいわけです。ですから、経済学の我々が考える永続的に生きて行ける世界の条件というものと、官僚とか政治家とかが考える条件というものはギャップが生じてくるわけですね。

 そこで、教育は我々の間でも一番話題になるんですが、でも大人が変わらないと子供が変わらないんじゃなくて、子供が大人を変えるということもあると思うんですね。人間は本性は悪か善かというのがありますが、私も娘が二人いますが、ときどき教えられたり、こっちが大切だと思っていることを何とも思っていないということもよくありますからね。大人が余裕がないというのは現実だと思うんですね。みんな分かっていると思うんです、心で分かっていてもなかなか行動に取れないという面が多々あると思うので、やはり子供達が「そんなくだらないことであくせく働いて死んで行くのが楽しいの」というふうな形で、まあ両方のせめぎあいじゃないでしょうかね。

 ただ、そういう方向になりつつあります。日本も大国としての国際貢献とかも議論しておりますし、国際貢献とか広い目でものを考える時に、狭い発想ではなかなか議論が進みませんので、方向性と言いますか、そういう雰囲気はあります。ただ、現実的な考えが、この国特有ですけども、強いということも事実ですね。答えになっているかどうかわかりませんが。




■ 鬼頭 :

 私も一言申し上げたいんですけど、結局大人が変わらないんだから教育も変えられないというようなことを言われましたね。ただ、現実はですね、今言われたようなことは、大人全般的に、子供も全般的にという話で、実際に動いている人たちもかなりいるわけですね。動いている人たちによって、教育というか、実際地域社会を変えていこうという運動とか、いろんな試みはあると思うんですよ。

 現実にはかなりいろんなところで動いていて、変わっているというか、我々の消費行動にしたって、皆さんは20歳くらいで、今から10年前はどうだったか考えて分からないかもしれませんが、我々みたいに少し長く生きているものから見ますと、10年前と今とを比べると、消費行動はずいぶん変わっているというか、昔では考えられなかったことだってあるわけですね。

 だから、いい例かどうかわかりませんが、トヨタのプリウスにしても、プリウスが必ずしも本当にいいのかどうかというのは議論になるんですが、あれはトヨタのエコプロジェクトの中でひとつの目玉商品として、とにかくもうからなくてもいいから、目玉として出そうという感じで出したわけでしょ。多少高めというか、それでも実際の経費より安く設定して、さほど売れなくてもいいという想定があったみたいですけど、現実にはかなり売れたわけですよね。ですから、トヨタの想定していたよりも、実際の消費者の行動というのが先を行っていたというのがあると思うんですよ。

 ですから、言ってみれば、マーケティングのあり方が違っていたのかもしれませんが、いろんな消費行動で今までとはかなり違った形は出てますし、いろんな地域でいろんな活動をしている人たちがいて、変わっているわけですね。今の環境教育自体が僕は、決していいとは思わなくて、学校教育というよりは、地域社会での人たちがやっていく活動が、もっと学校教育に結びつくような形でやっていかないと、今の学校教育における環境教育はどうもあんまり良くないとは思うんですが、ただ、それでも、かなり色んな形で動いている人たちもいます。

 ですから、今の大人達がだめだから環境教育もだめだということで見るよりも、動いているところで地道なこととは思いますけども、ただ、結果的には今いったような、消費行動などではかなり変わってきた部分もあります。またこれ10年経てば大きく変わる可能性もあるので、多少僕はその辺をオプティミスティックに考えるようにはしているんですけど。




■ 丸山 :

 ありがとうございます。残念ながら時間がきてしまったんですが、最後に僕もいいたいことがあるのでそれだけ申し上げたいと思います。

 あの、今の質問で、システム的な思考をしていると、ごく一部をいじったって変わらないんじゃないかということをおっしゃったと思うんですが、これはね、一つの一般均衡モデルというのか、経済学をやっている人はすぐに分かると思うんですが、価格メカニズムですね。非常に無数の商品の供給者と需要者がいるとしますね。そうすると、ごく一部の人が値段を変えたって全体の値段は変わらないという話と非常に似ていると思うんです。そういう一般均衡モデルというのがあるんですが、実はそれとは違うモデルがありまして、進化モデルというんでしょうか、大きなシステムの中で、個々の要素は孤立して存在しているんじゃなくて、相互作用、お互いに依存し合う関係にあって、ひとつが変わると、その相棒も変わるという、これは共進化というプロセスになると思うんですが、そうすると、最初は初期条件で全く同じシステムが2つあったとしても、一方のシステムである一部がちょっと変わっただけで、10年20年先を見て、全然違うシステムになるということがあるわけですね。こういうのは一般均衡モデルでは説明できなくて、進化モデルという別のシステムを考えた時に出てくるシステムなんです。

 環境問題を考える時は、進化モデルでいかないと、希望が出てこないんじゃないかという思いがいたします。そうすると、その中に、後藤先生がすっぽり入るんですね。なぜかというと、思考錯誤が許されるからなんですよ。何かとにかく無駄でもいいからやってみるとですね、それが以外と思いもよらない共進化を起こしてですね、自分が思っていたのと違うんだけど結果的にあるベターなシステムができるということも十分ありうるわけですから、みなさんも、一般均衡モデルだけでなくて、進化モデルも同時に使いながら、問題を発展させていかれるといいんじゃないかと思います

 ということで、全体の講義を締めくくることにしたいと思います。講義はこれで終わりですけど、後はホームページ、まさに情報の世界ですけども、ここでお互いにディスカッションしながら相互に教育し合っていくという関係を作っていければいいと思います。今日は鬼頭先生、後藤先生どうもありがとうございました。



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