どうもありがとうございました。それではここから後半の討論につなげていきたいと思います。
宿題は二つ与えられているんですが、まず論点1、環境問題をめぐる価値の多様性。「環境問題は、さまざまな個人や集団の信念・立場・利害に基づく価値関心に取り巻かれています。そこでは『囚人のジレンマ』や『共有地の悲劇』というように個人の主張と全体の利益が対立的に捉えられることも少なくありません。これらのような、人間―人間関係の問題、個―全体関係の問題はどのように調停されるのでしょうか。また、地域からの視点はどのように関わるのでしょうか。」ということです。今までの話の中で、ある程度考えの枠組についてはヒントが出てきているんじゃないかと思うんですね。
囚人のジレンマ
例えば、囚人のジレンマとか、共有地の悲劇というのはですね、人間が孤立した個人であることを前提としている。
例えば、囚人のジレンマというのはですね、犯罪者集団が、悪いことをしたときに捕まって、個別に尋問されると。それで、事前に取引をするってわけでしょ。AとBという犯人が捕まっているときに、Bが黙っている。その時に、Aに「ちゃんと白状すると、お前の罪は軽くしてやる。それでBの罪を重くする」という条件を出す、正確に言うとちょっと違うと思うんですけど。それで「もしお前が黙っていて、Bの方がしゃべってしまえば、お前の罪はうんと重いぞ」と、バイアスをかけた条件を出した時に、あなたはどういう選択をするかということですね。
自分としてはBがしゃべるかしゃべらないかというのが非常に重要です。無罪放免になるのはAもBも黙って白状しないことです。事実が立証できないわけですから。AもBも自分はやっていません、自分は知りませんと貫くことができれば、二人とも釈放される。だけど、Bがしゃべって自分がだまっていると、一番損をする。だから、Bがしゃべるかしゃべらないか分からないけども、Bがしゃべったとしたら、自分もしゃべっとかないと罪をかぶることになるので、結局しゃべりますということになるんです。
AもBも黙っていれば一番いい無罪という条件があって、Bがしゃべって自分が黙秘していると一番悪い条件を、例えば、20年の刑を課せられる。だけど、両方ともしゃべった場合は5年で済むという計算をして、じゃあ、ベストじゃないけど、この辺でいいかというところに妥協する。この場合どちらもしゃべる傾向にあるわけです。
結局そうなると、環境問題も、ベストな解というのはできない。みんなが意図的に働けば、もっといいところに行けるのに行けないことになる、ということの例として、しばしば環境問題を考える時に出てきます。
共有地の悲劇
そして、共有地の悲劇というのは、いわゆるオープンアクセスという誰でも入ってこれる牧草地がある時に、牛を飼っている人が牧草地に行って、牛を放す。そうするとだんだんと草がなくなっちゃうわけだから、最終的には自分の牛もやせ衰えてしまう、ということが分かっているんだけど、じゃあ、みんなで話し合って、牛を放牧するのを少し控えようということにならない場合どうなるかという話ですよね。
もし自分が遠慮して牛を放たなければ、その分、非常に長く維持することができる。だけど、自分の牛を牛小屋から出さずにおくと、Bという別の人がそこへ行って、自分が本来行くべきところの草を食べてしまう。そんなことをするんだったら、相手に食べられる前に、自分の牛をそこへもっていって、先に食べさせてしまおう。でAもBもCもみんなそういうふうに判断するので、結局共有地というのは瞬く間に丸坊主になってしまうというような話なんですね。
いずれも、個人が孤立した個人ということを前提にしているわけですね。だからそれを調停しようたって、それは最終的には独裁者というか、権力が上から押さえ込むしかないんじゃないかということになる。でこの授業ではそうじゃない解決を目指そうという話をしきりにしてきたわけです。で、行きついたところが、コミュニティ的な人間関係、まあ、協調する関係ですね。共感し、共生する人間関係をベースにして考え直そうというところまで、話が来たわけですね。
そこから先、じゃあ、どうしたら共生、共感の関係が得られるかという問題をつきつけられているのではないかと思います。後藤先生もお答えがありませんというふうにおっしゃっていたわけですけど、その点、考えを一歩でも進めることができれば、と思って、ここで先生にお答えをいただいてもいいんですけど、フロアのみなさんが率直に感じていることを少し紹介していただきたいと思うんですね。こういうことを考えれば少し前にすすめるんじゃないか、とそういう意見がありましたら、手を挙げてください。答えじゃなくてもいいんですよ、答えに行く一歩手前で、こういうふうに考えたらどうでしょうというヒントをくれればと思うんですが。
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