1 生命系の危機
まず、私の方から、10分くらいもらって、7年目のテーマ講義を振りかえって感じた事をお話したいと思います。5つくらいまとめてみたんですが、最初は環境問題の定義をめぐるディスカッションとして、環境問題とは何かということを、今までの授業を振り返って考えると、生命系の危機というキーワードでまとめられるのではないかという思いを強くいたしました。実は、これはこのシリーズが始まる前から私自身そう思っていたのですが、このシリーズを聞いて、やっぱりそうだなと思いました。安井先生の講義の時に、教官紹介冊子を見てもらうと出てくる表現があるのですが、受講生への一言というところで、「自らの命を維持することの価値をもう一度問うことが必要だ」と書いているのですが、私はこの自らの命を維持するということが、まさに生命系、システムの特徴であろうと考えまして、このテーマ講義で様々に出てきた環境問題というのは結局煎じ詰めていくと、人間の生命を維持するシステムが今危機にさらされているということを、様々な形で表現されたものだろうという風に考えたわけです。
そこで、環境問題を解決するためにはどうすればいいかという問題をたてる時にも、危機にさらされている生命系をどういう風にして修復したり維持していったらいいのかという問題になるんじゃないか、つまり、生命系を支える条件を考えるという視点がそこから出てくるだろうと思います。従って、問題をたてますと、生命系を更新するということが、環境問題を解決するひとつの大きな道筋になるのではないかと、私はそういう風に問題を設定したいと思います。
2 熱力学的思考
そういう問題を立てたときに、やみくもに環境問題にとりくむというわけにはいかない。これは安井先生が口をすっぱくして「まず事実を知りなさい。環境を理解するのに道具がいるんだ」と力説されていました。私は、その道具で一番大事なのは、熱力学的思考であろうと考えています。これは、文系・理系の区別無しに、すべての人がそういう発想を持たないと、環境問題にアプローチするのが非常に難しいだろうという思いを新たにしています。
熱力学というのは何なのかというと、第1法則がエネルギーの保存、第2法則がエントロピーの法則。この2つの法則を踏まえた上で、環境問題の本質を捉えて行くことが不可欠な要素であると考えます。
もう少し解釈を展開していきますと、エネルギー保存則というのはエネルギーが形を変えて仕事をしたり、電気から熱に変わったりしますけれども、そのあるシステムの中でトータルで見ると、エネルギーの総量は変わらないんだという考え方ですね。そして、エネルギーは形を変えながら、熱から電気になって仕事をして、返ってくると熱や何かに戻ってくるという循環の姿を表しています。A地点からB地点に行って、そのまま戻ってくるだけでなく、循環してA地点に戻ってくることも可逆性と捉えて、そういう意味では第1法則は循環の世界、可逆世界を表していると言えます。
これに対して、第2法則の方は、循環しない世界ですね。エントロピー。エネルギーが劣化していく、つまり、人間にとって使える状態のエネルギーから使えないエネルギーには質が劣化する。それは一方的な流れであって、エントロピーが低い状態はエネルギーが使える状態であって、高いと使えない。そのAからBへの矢印の変化が一方向だけということを表しているのが第2法則です。
私達が環境問題を考える上で、少なくとも、この2つの法則を押さえる必要があるのではないかということです。押さえるためには今現状で生じている環境の汚染度だけを見るのではなくて、その汚染がシステム全体の中でどう位置付けられていて、システムにどういう変化を及ぼすかを見なければならないということになるわけです。具体的に言うと、システムをどう捉えるのかという問題になるわけですね。このエントロピーがシステムにたまってくると、適度にシステムの外に出すということが、環境問題の解決における一つの手続きになるだろうと思われますので、ここで、開放定常系という考え方を入れて、エントロピーを捨てるシステムを考えるという視点を入れて整理してみたいと思います。先ほどからシステムという言葉が何度も出てくることからも分かるように、現象を見る時には、システム的に考える必要があるということです。これは一番最初に石谷先生がおっしゃったことですね。石谷先生の教官紹介冊子の受講生への一言では、システム的な理解と考え方書いていますが、これを私なりに解釈すると、今言ったようなことになるわけです。
3 リサイクル
ここまでが前半の話でありまして、じゃあ、システム的な思考にたって環境問題を取り組む時に、どういう手続き、あるいはプロセスを経て行かなければいけないかということですが、それを2つに分けまして、一つ目はリサイクルそれ自体をどう言う風に捉えるかということ、2つ目はやはり人間のライフスタイルを見なおすというアプローチ。この二つが大きな要素になってくるという風に考えられます。最初のリサイクルでありますけれども、これも2つに分けまして、物質そのものの循環を見る視点と、経済の循環を捉えて行く視点、この2つが必要になってくるのではないかと思います。
3−1 物質の循環
物質の循環に関しては、安井先生の講義でLCA(LIFE Cycle Analysis)というものが出てきました。これは、言ってみれば、製造物が生まれてから死ぬまでの一生をたどって行くことです。そこで、エネルギーがどのように消費されて、環境にどういう負荷が与えられたかということを定量的にみることができるわけです。従って、製造物の生産かられ廃棄まではもちろんのこと、廃棄されたあとどうなるかということも含めて考えられるわけです。
例えば、ある生産物から鉱物資源を取り出してきて廃棄するのがいいのか、それとも、取り出したものを何回か循環させた上で捨てた方がいいのかという選択ができるようになるというわけです。リサイクルは何が何でもいいというものではなくて、リサイクルさせることによってエネルギーの消費量がどう増えるかということも比較のポイントとして入れて考えると、エネルギー消費を少しでも節約し、減らすためのリサイクル技術が開発されやすくなるということです。製造物を生産して、消費して、廃棄するという繰り返しの中で、何をどの程度、どのようにリサイクルしたらいいかという問題が不可欠であるということですね。
3−2 経済の循環
もう一つは、経済の循環において、リサイクルをどういう風に位置付けるべきかという問題があります。これは非常に難しいのですが、ひとつは、製造物の需給メカニズムですね、これは前回の岸野先生の話で、トイレットペーパーの流通をたどることなどによって分析していくことができます。その生産物、トイレットペーパーならトイレットペーパーの紙を生産して消費して、また古紙に戻して、トイレットペーパーにして商品にするという流れの中で、誰がどのように生産・流通に関わるのかという問題を立てられました。つまり、「経済循環、資金を投入して、ものを作って、それを売って利潤を得るというその経済的な活動が循環につながっていくわけですけど、その経済循環が、ものをリサイクルすることにどう変わるかということを考えて下さい」と岸野先生は問題をくれたわけです。リサイクルすることによって、今まで生産に携わってきた人の生活が圧迫されるとしたら、それは問題となるということを言っているのです。
それから、同じ経済の循環ですけど、富の分配構造が非常に重要であります。これは佐藤先生、中西先生の授業で、立場の違いによって、対策を行った時に、貧しい人はより貧しくなったのでは困るということをおっしゃっていたと思います。それから、倉阪先生は、別のトピックですけれども、環境汚染を出した発生者がどういう風に環境負荷を責任を持って処理するのか、負荷を取り除く責任を負うか、という問題を立てられて、結局今までの趣旨では、環境汚染を発生させる側の責任が十分にとれていないということを言おうとしておられたわけです。
そこで、経済の循環の中で、どうして環境問題が解決されないのかという問題があとで出てくると思いますが、一つには、発生源の責任をどう問うかということをできるだけ考えなければいけません。リサイクルということを循環型社会の一つの特性とした場合に、少なくとも、物的な循環と、経済の循環ということについての分析のメスを入れなければならないということは明らかになってきています。
4 ライフスタイルの見直し
最後に、物質の循環を担っていくのも、経済の循環を担っていくのも、究極的には人間ですから、人間がどういう価値観を持って生きて行くのかというところまで、問い直しのメスをいれなければいけないだろうという話になると思いまして、いよいよ環境倫理の話が立ちあがってくるわけです。
4−1 システム的アプローチ
今までのシステム的なアプローチから言ってライフスタイルを見なおす一つのポイントは、武内先生の言葉で言うと生物資源の循環利用、別の言い方で言うと更新可能な資源ですね。太陽熱で植物が成長してその植物を人間が資源として利用する、またその植物を食べて成長する動物を我々は資源として利用するというようなことです。太陽と水によって生み出される資源は地球の上において更新可能であるという考え方を明示的に取り入れ、それによって循環の軸を描きなおすというアプローチが出てくるということです。その時に、生活水準が低下するのではないかという様々な問題が発生してくるわけですけど、その時に、倫理的なアプローチが重要になってくるということです。
4−2 倫理的アプローチ
中西先生が、フィリピンの問題を取り上げた時に、豊かな世界で暮らしている人間には、スラム街やどぶのような川を汚さざるを得ない暮らしを、外から理解しようとするのは非常に難しいということを力説されたわけですけど、そこで、私達は、立場の違う人達に対して、共感するまたは共に生きるという視点を培う必要があるだろうとおっしゃっていました。そうすることによって、今豊かな世界に住んでいる人間が、物的な生活水準を下げるということをどうしてもいやだと考えるのではなくて、貧しい地域に住んでいる人たちの生活がそれによってより豊かになる、あるいは環境への負荷が少なくなるということにつながるんだというふうに、気持ちを切り替えていけるのではないかと思います。
そもそも、私達が普段ここで暮らしている限りにおいてはあまり考えようとしないことと、私達の暮らしをどうつなげていけばいいのかというところで問題を立てていらっしゃるのが、ここにおられる鬼頭先生で、日常生活における切り身の関係ですね、スーパーで売っているマグロの刺身みたいに、それがどこで生まれ育ってたどりついたか分からないような関係ではなくて、生身の関係で考えていく。そういう視点の切り替えによって、私達自身の物的な生活の水準は非常に相対的なもので、それを絶対視することが大切だということがあらためて分かるのではないかということです。
4 地域コミュニティ
そこで、切り身の関係から生身の関係に切り替えていくにはどいういう条件が必要なのかというのが一番最後でして、地域コミュニティという場を、基本単位を設定しなおすということが重要になってきます。
ちょっと順番が前後しますが、倫理的なアプローチで問題になるのは、私達が、豊かな世界に住んでいる人の生活水準を下げようという時に、えてして、量的な規制ですね、「明日からみんなの持っているお金を半分にしましょう、それを途上国に全部寄付しましょう」とか、「明日からエネルギー消費を半分にしましょう。電気も明日から、蛍光灯を半分しか使わないようにしよう」とか、そういうことを国の高いところで一律に決めて、それを全部に強制的に割り当ててやるということになると、おそらく環境独裁ということになってきますね。そうじゃなくて、私達がお互いに顔の見える範囲で暮らしながら、その生活世界の中で、結論的にはエネルギーの無駄なものは使わないという形で妥協点を見出していくという手続きを取る必要も出てくる。結果は量的に見ると同じであってもそこに至るプロセスに、非常に大きな社会科学での違いというものが出てくるだろうという問題が、倫理的アプローチでは確認されるでしょう。
そこで、民主主義の問題も後で出てくると思いますが、それに絡めて言えば、望ましい持続的社会を作る基本単位を私達はあらためて考えなければならないということです。そこで、システム的な思考を発展し、それに基づいてシステムを行っていく基本単位が求められるわけであって、その基本単位として授業の中でも、多くの先生が地域社会とか、ローカルなコミュニティということを強調されているわけですね。武内先生の二次林の話も、やはり地域に住む人たちと林との関わりというものが出ていたわけです。そういうふうに、どこかで顔の見える人のつながり、そして、その生活を支えている環境、という一体となったシステムをモデルとして立ち上げることによって、私達が発想の転換をする糸口が見い出すことができるでしょう。そして、そこから生身の人間関係へと移っていけるのです。ちょっと強引ですけど、僕はこんな形で全体の授業をまとめてみました。
5 印象に残った授業
非常に印象に残っているのは、安井先生が「事実を知りなさい。環境ホルモンなんていってるけれども、そんなものはいったい私達の体にどんな影響があるのか分からないから、あんまり騒ぐな。」というメッセージを下さったと思うんですけど、逆に倉阪先生は、「どういう影響がでるかわからないからこそ、その解決は慎重にしなさい。」というふうにおっしゃっていたと思うんですね。これらのどっちが正しいかということは今答えを出すよりは、むしろ、今後の討論の中にとっておきたいと思うんですけども、環境ホルモン一つをとってみても、どう見るかというのは、見る人の立場によって相当違うということです。私はその違った視点が、最後に出てきたシステム的な視点を通して見ると、どう位置付けられるかということを考えたいと思っています。倉阪先生は何でああいうことをおっしゃったのか、そして、安井先生はどうしてあんな警鐘を発したのか。システムの中のどこに先生達が着目してそういう風なメッセージを発せられたのかということを考えたいと思います。
私の方からの基調報告は終わります。それでは鬼頭先生、後藤先生から、どうぞご自由にコメント、あるいは今考えていることなどを、そうですね10分くらいずつ、あるいはもう少し短くても結構ですが・・・。
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