たぶんこの問題には2つの要素があって、1つはデータそのものが不十分である場合、それを理由にしてある行動が起こせないという風に考える場合です。もうひとつの問題はデータ自体はあるのだけど、それが意味することがわからない、直接被害がでるかはわからないという状態で情報を公開してしまうことの結果をどう考えるかという問題です。
最初の問題に関してはこういう事例があります。オゾンホールが問題になったときにモントリオール議定書ができました。そのときにはフロンとオゾン層の何か関係していることはわかっていたが、科学的には実証されていなかったんです。しかしこのままほおって置けばとんでもないことになってしまうということでかなり政治的な判断でフロンの規制をやろうということを決めたわけです。
科学者達はそこであとを追う形で証明もんだを片付けていったということがあるんですね。ですから、そういうようにだんだんとデータがないから何もしないというような壁はだんだん破られてきていると思います。
2つ目は難しいですね。0-157の問題や原子力発電所の問題などがあります。それらの情報に対して過剰にはんのうしてしまうのをどうしたら良いのかというのは難しいですね。佐藤先生どうですか。
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