これは欲望の質の問題と量の問題両方があると思います。
欲望を考えるときに僕がいつも言っていることは、一方では生きるという行為そのものに照らして欲求を満たすと考えることと、その目的事態は食べることや眠ること、心地よい音楽を聴くことというのは全てDoing、Beingの問題と考えることができると思います。
他方で欲望を満たすための手段が必要です。そうすると欲望を満たすためにどのような手段を所有することが必要かということがでてきます。それはHavingの問題です
よってDoing、Beingの要素ととHavingの要素、両方の要素が欲望を満たすためには必要だということになります。
それで問題は、人間がhavingの領域をあまりに大きくしすぎたからなのではないかということになるのではないかと思います。DoingなりBeingという目標を達成するために必要なHaving以上のHavingを求めてきた結果なのではないかということです。
自然にかえれというのは非常に乱暴な言い方なのですが、そこまで乱暴に言う前に私達はBeing、ある望ましい状態を達成するために本当にこれまでのHavingをする必要なあるのかという問いを立てたほうがよいのではないかと思います。
具体的にいうと、今日本郷から帰ってくるときの電車の冷房がかなり寒かったです。何で冷房をかけるのかというと外が熱いので冷房をかけるわけですが、その電車に冷房をかけずに乗ると不愉快になってしまう、その不愉快を取り除くために電車に冷房をかけるというのが普通の考え方です。しかし電車の会社はそうは考えていなくて、電車の中に冷房を入れておかないとみんなが不愉快になって暴れだしてしまうから、皆さんをおとなしくさせるために冷房をかけている。ですからどんな方法でもいいから効率的に冷やすようなことを考えればよい。そのためには単純な手段で社内を冷やせばよいわけですが、私がほんとに人間の快適さのために冷房のシステムを考えるとすれば、もっとファジーなものにして、体感温度でどのくらいの温度が快適なのかをコンピュータで計算して、乗っている人一人一人に合った温度の風邪を送るとかそのようなことを考えると思います。
だけど今の電車の会社の人が考えているのは効率よく手段を運営するためにHavingの領域を増やしている。そこでは環境への負荷をかけるようなシステムになってしまっているのではないかということを言いたいわけです。
ちょっと脱線してしまいましたが、脱線ついでにいうと、冷房をかける副次的な効果としてそれで風邪を引く人がでる、そうすると薬局や医者が儲かってGNPに貢献しますので、市場経済としてはうまくできたシステムなのですね。そうしてHavingを増やせば増やすほど市場経済は大きくなるのですから。
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