まず、公害についてはあまり知らないので、多少アナロジーとして私の身近な問題を話したいと思います。私の講義の中でも少数民族という、森林問題についていわゆる弱者と言われる人の中に入りこんで、彼らがどういう暮らしをしてどういう問題に直面しているのかということについて考えていたのです。
そこでどういうことを調べようとしていたのかというと、地球レベルで重要とされる森林に彼らがどの程度依存しているかを調べようと思ったのです。そのような分析方法についてアメリカで発表したことがありました。そこで私の尊敬する先生から次のようなことを言われました。
「人々がどれだけ森によって助けられているのかということを言いつづけいているだけでは人々の立場の向上はない。そうではなくて、森がどれだけ人々に助けられているかということを合わせて示したときに「かわいそうな弱者というロジック」から抜け出すことができるのではないか。」
ひとつのヒントというのは、弱者という人々は構造的な問題が最初に兆候として現れるところに居合わせる人々だとすると、同時に構造的な問題だと考えないといけない。全体の構造を維持したまま時々に出てくる兆候の部分にだけ対処していいのだろうか。そういうことにとらわれているせいでしばしば重要な問題が反復してきたのではないかということを私の授業の中で言ってきたのです。
まとめていうと、気をつけないといけないのは誰に対しての弱者なのか、それに対しての強者はどういう位置付けになっているのかということが重要だと思います。それによっては強者といわれる人々が弱者に依存していることもあるだろうし、その側面だけを見れば弱者も強者といえるのかも知れない。関係をスケッチしていくようなことが必要なのではないでしょうか。
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