8.間伐体験
・目的 ・実地記録
<奥多摩駅へ>
<村役場での熱い説明>
<いざ森へ>
<作業開始>
<懇親会>
<二日目>
<温泉>
<現実世界へ>・資料 ・リンク
地図(右上のサテライトで衛星画像)
日本の山林が荒れているという話を耳にするようになって久しいが、実際に荒れているとはどのような状況なのであろうか。国産材が売れなくなり、林業の採算が取れなくなって以来、山の木が切られないで放置されているために荒れているという。この放置された山林を目にすることで、迫っている日本の林業の危機を実感することができるようになる。そして、汗を流して木を切るという経験をすることで、木への愛着を増し、さらには日本の林業を真剣に考えるきっかけになれば、主催者側の方々の意図・ご厚意を無駄にすることもないだろう。
このように実際に体験するということの重要性に加えて、外部の人との交流も目的のひとつとしてよいだろう。三四郎のプロジェクトの中では比較的外に出て交流する場面は多いといえるのかもしれないが、それでも現場で動く人の声はなかなか聞けない。さらに、このような場へ出てくる人はとても積極的な方が多く、これ以外の活動にも参加していることが多い。多方面で活躍している方々の話を聞く機会などめったにあるものではない。お互いに知らなかった世界を垣間見、情報交換の場として活用することもできるのだ。
□■奥多摩駅へ■□
中央線ホリデー快速おくたま号に乗り込み、一行は東京の西の果て、奥多摩駅を目指す。間伐作業はほぼ全員が初めてのため、早朝であるにもかかわらず、新宿を出発してから徐々に集まり始めるメンバーの会話もはずむ。次第に車窓の景色も緑に覆われたものとなり、ますます期待が膨らむ。車両に乗っている人々の服装も、いかにも今から登山へ行くような格好の人ばかりとなってきた。いつごろからか向かいに座っていた学生らしい4人組も登山靴をはいている。彼女達も登山に行くのだろうか、それとも私たちと同じ間伐体験に行くのだろうかと考えつつ、話しかけることもなく、2時間ほどで奥多摩駅に到着。
奥多摩駅は思いのほか大きいが、一度改札を出てからsuicaのチャージをして再度改札を通るというやり方には驚いた。人がいる改札だからこそできる技だ。
□■村役場での熱い説明■□
10時に奥多摩駅集合というのは電車の時間にしっかり合わせてあるようだ。ちょうど良い時間に着いた。がしかし、駅前で昼食や足袋などを買おうとしていた面々は、お店を捜し求めてしばしさまよう。そして、用事を済ませていざ受付へ。待っていた小さなマイクロバスに乗り込むのだとばかり思っていたが、なんとその後ろの大きな観光バスも間伐体験者用だという。なんとも豪勢だ。人数の多い私たちは大きな観光バスに乗り込み、向かい合わせに座れる座席に陣取った。ここではさすがに長旅の疲れが出たのか、眠り込むメンバーもちらほら。途中からは携帯電話も圏外となり、先行きに不安を覚える。山道を行くこと約1時間。ようやく小学校へ到着。と思いきや、目的地は小学校ではなくその敷地内(隣?)にある村役場。
村役場で、多摩川源流研究所長の中村文明さんのお話や具体的な作業の説明を受ける。ここでは熱い熱い話を聞かせていただいて、私たちはすっかり感化されてしまった。小菅村の人口減少の問題、迫る理不尽な市町村合併、そして林業の抱える問題等々、熱く語られると私たちも考えるところが大きい。このとき聞いた話は、作業の際の安全面についての説明と同様な重みを持って聞こえたのは気のせいではないと思う。資料も豊富に用意されており、あの熱を帯びた説明を聞く限り、小菅村の人々が深い愛郷心を抱いていることに疑いの余地はない。
作業を始める前には腹ごしらえ。お湯と簡易味噌汁が用意されているので、みな冷えきった体を中から温めた。そして、ここで注目すべきなのは、ごみ袋が2種類用意されたこと。一つは可燃ごみ、もう一つは生ごみである。ここでいう可燃ごみとはビニールやプラスチックも含むもので「燃やさないごみ」として分別することはない。このことは少し気にかかったのだが。もう一つの生ごみは堆肥化されるということを去年参加者の方から伺った記憶がある。村の中で出される生ゴミがすべて村内で処理されるとしたらそれは学ぶところが大いにある。
□■いざ森へ■□
作業用の服装に着替えたらバスで作業を行う森へ移動。全員で準備体操を行った後、模範として一本の樹が切られる。今回間伐する森林はまだ樹齢が若く、細い樹が多い中、模範に選ばれた樹は太めだったためか、ベテランの方でも息を切らして、途中休みながら切っていた。そして最終的に樹が倒れる瞬間は、何度見ても思わず歓声を上げてしまう。
今回は経験によって班分けがなされており、一番ベテランの方々の班は、運び出しをおもに行うとのこと。運び出しは大変力のいる作業で、その発表があったとき、軽く悲鳴があがった。残りの班は山に入り、いよいよ樹を切っていく。各班に一人指導者の方がついてくださり、その方の指示に従って作業を行う。
私の班は初めてではない方ばかりの班であったためか、指導者の方は、担当の範囲についた瞬間「はい、では自分で切る樹を見つけて切ってってくれ〜」と言って、ずいぶん私たちの能力を過大評価している模様。初めてではないとはいえ、前回の作業から期間があいている人も多く、さすがにいきなり自分でやれと言われても困ってしまい、皆でそれを訴えた。するとすぐにわかってくださり、切る樹の選定を指導者の方が行い、切る作業は残りの班員が二人一組になって行っていくことになった。
□■作業開始■□
このようにしてドキドキしながら始めたのに、勝手に始めてくれといわれても困ってしまう。幸いにも、私がペアになった人は5回ぐらい間伐に参加していて、農大で林学を専攻している4年生の方だったため、とても詳しく、さらに年齢が近いこともあってとても話しやすかった。切りながら色々なお話を聞けたこともとてもいい経験である。大学の話、樹の話、興味の話等々。
<@樹の切り方>
具体的に作業の仕方についても教えいていただいた。全体で受けた説明では、樹を思った方向に安全に倒すための説明として、切り方について詳しく教わった。まずは倒したい方向に受け口を三角形に切り落とす。これは幹の太さの3分の1以内に収めなければならない。そして逆側から追い口を切る。このとき最後まで切りきってしまうと、ちょうつがいになる部分が落ちてしまうので、最後受け口につながるところまで切ってはいけない。細かい注意点はもっとあるのだが、これは別項に譲ることにするが、おおまかにはこのような流れである。
<A切る木の選定>
切り方の説明はこれだけで済むが、実際には切る木を選定するところから始まるため、直径15cmほどのスギを1本切るのに約30分はかかると見ておいた方がよい。細い木、枯れている木、曲がっている木、他の木に重なっている木が間伐の対象となるほか、混んでいる部分は多少大きくても切るし、樹種によっては森林の持ち主が希望した樹種でなければ大きくても切ることがある。モミは成長が早いため、よく土地の境に印として植えられることが多く、この場合は切らないようにする。また、材木を取るためのスギ林だったとしても、持ち主が望めばクリの木でさえ残すこともある。このようにその森林の事情をよく知っていなければ切る木を選ぶこともままならない。
<B切る向き>
そこで私たちの班は指導員の方が切る木を選び、その幹になたで傷をつけて印として残してくれることになった。そして、私たちはその印を探し、自分が切れそうな太さ、位置の木を切っていくことになる。太い木は切っていくうちに木の重みでのこぎりの歯がかんでしまい、引くことができなくなってしまうので、二人一組のうちの片方の人が幹を押し、かまないようにする工夫が必要である。また、重力の関係で、斜面の下向きに力がかかるので、上側から切るようにするとかかる力が小さくてすむ。しかし、切り始める向きを考える時には他にも重要な要因が多数あってかなり難しい。例えば、木自身がどちらか一方に傾いている場合、その向きに逆らって倒すのは難しい。また枝の張り具合によって、隣の木にかかってしまい、完全に地面までは倒れないことになる。この場合、ロープをかけて引っ張ったり、ちょうつがいの部分を完全に切り落としてしまって根元を持って引っ張ったりする必要が出てくる。
<C声掛け>
樹が倒れたときのことを考えて、他の人の位置を確認しながら、自分が切りやすい樹を選んで切っていくことになる。あまり近いと倒れる方向が狂ったときに危険なので、十分に安全な距離をあけ、切る樹を決めたときは大きな声で、位置と倒す方向を近くの人に報告する。このとき、指をさして「こっちに倒します」と叫んでもその姿が周りから見えないことが多いため「斜面に対して右方向に」といったように説明したほうがわかりやすいということも、作業を進めるうちに学んでいった。そして実際に倒れそうになった時には再度大声で周りの人に知らせること。「倒れまーす。」特に慣れないうちは思った方向に倒れてくれないことも多いので、声かけは安全のために非常に重要である。これ以前の間伐ボランティアで、自分で勝手に判断してどんどん作業を進めていった人がいたために、けがをしたという経緯があったらしい。このために私達は念入りに準備体操をおこない、注意を促されてからようやく作業に取り掛かったのだ。
<D注意点>
切る向きを決めたら切り始めればよいのだが、そのときも注意することは数多くある。まずは周囲の安全に木を配ること。茂みの中に人がいるかもしれないので、周りへの声掛けは必須である。自分の逃げ道の確保も忘れてはいけない。受け口を切っている間はともかく、追い口を切り始めたら、いつでも逃げられるようにしなければいけない。腰をおろしてのこぎりをひくのは楽ではあるが、安全面では決しておすすめしない。いくら方向がある程度コントロールできるとはいえ、思ったとおりに倒れないこともよくあるので、常に慎重さを忘れてはいけない。また切っている最中に上から木の枝が落ちてくることがある。特にスギの枝や枯れている木の枝は落ちやすいので気をつけなければいけない。たかが枝とあなどるのは非常に危険で、十数mの高さから落ちてくる枝の衝撃は大きい。いくらヘルメットを着用しているとはいえ、頭上注意は常に意識していた。
最初はこのような危険性を聞いて緊張していたのだが、実際に切り始めると楽しいものだ。周りの木にかからずにきれいに倒れたときの感動はひとしおである。数回の休憩を挟み、あっという間に初日の作業時間が修了してしまった。山の日が落ちるのは早い。
□■懇親会■□
宿に移動し、希望者は温泉へ、その他の人もそれぞれに汗を流してくつろいだ後、いよいよお待ちかねの懇親会である。夕飯は小菅村の豊富な山の幸、川の幸が振舞われた。村特産のヤマメ、こんにゃく、きのこやサトイモなどがテーブルの上に所狭しと並ぶ。たくさん振舞われたのだが、一日の作業を終えてお腹の空いた私たちは、ご飯をおかわりしたのだった。印象に残っているのは柿のてんぷらである。初めて見たそれを恐る恐る口に運んだが、しゃきしゃきとした食感と甘みが新鮮だった。食事も終盤になった頃、お待ちかねの自己紹介タイムである。40人ほどが集まっているので一人当たり30秒以内ということだったのに、熱く語りたい人が多いようだった。ここで「小菅症候群」にかかっている人が多いということが判明。一度参加するとやみつきになってしまうそうで、この森林再生・緑のボランティアの間伐体験事業はリピーターが非常に多い。これでは新規開拓ができないため、最近では年間3回までに参加を制限しているという。このようなさまざまな工夫のもとで、徐々に参加者層を広げていくという目標が達成されつつあるようだ。
8時にいったん締めとなり、その後はお酒も適度に入った状態で、おのおのが好きなように集まって話を始めた。ここでは林業の話はもちろんのこと、社会人の方からは普段のお仕事の話も聞かせていただいた。私自身は前日の寝不足と、作業の疲れのために、早めに部屋に戻って寝てしまったが、他の皆は外に出て星を見たりしたという。このように、バックグラウンドも世代も違う人との交流が、このような活動に参加することの醍醐味の一つでもあると言えよう。私個人としては、所長の中村文明さんとお話できたことがとても楽しかった。熱く、親しみやすい普通のおじさんなのに、頭の中ではいろいろと考えていて、小菅村とその自然、そして家族を愛してることがひしひしと伝わってきた。このとき私は小菅症候群ならぬ文明症候群にかかってしまったことを確信した。
□■二日目■□
元気なおじさま方は早朝散歩に出かけた様子であるが、私はその物音を聞きながら、うつらうつらとしていた。朝食は純和食。普段朝ごはんを抜くような私たちでも、ご飯をおかわりするほど食べてしまった。そして、準備をすませたら早速作業開始。前日と同じ場所で同様の作業を続けることとなる。ただし、道に近い側はほぼ作業が終わっていたため、私の班では斜面の下の方での作業が多くなった。比べ物にならないほど急な斜面で、ただ立っていることすら難しい。枝張りを見るために上を見上げると、それだけでふらっといってしまう。潅木も生い茂っていて、近くの人を見落としている危険性も高いために、声かけは以前以上に重要になる。とは言え、前日半日の作業でコツをつかんだ私たちはおおむね順調に作業を進めることができた。休憩中には山の紅葉を眺めたり、指導員の方に、昔の話を伺ったり、切った木の枝をアレンジして自分用の杖を作ったりと、各自が思い思いに楽しんでいた。
昼は全部の班が集合して昼食。宿の方が用意してくださったお弁当には大きなおにぎりが3個も入っていたが、ほとんどの人はペロリとたいらげてしまっていた。一部の人はトイレを借りるために近くの産業センターへ車で送ってもらう。このとき軽トラックの荷台に乗せてもらい、非常に楽しい経験をした。後ろからついてきたもう一台に乗っていた人達からは明らかに重量オーバーだと指摘されてしまったが、荷台に立って風を切るのはなんとも気持ちのいいものだ。
そして、午後の作業ともなると、いよいよ終わりが近いことを意識し始める。この日は奥多摩駅への道が混雑することが予想されるために作業が早めに切り上げられることになっていた。結局、集合時間に遅れてはいけないため、中途半端に受け口を切りかけたまま放置することになってしまった。危険ではないのかと少々気がかりである。
□■温泉■□
作業終了後はお楽しみの温泉である。前日の入湯は希望者だけであったが、彼らにより温泉の効能は証明済みである。筋肉痛が出なかったのは小菅の湯のおかげであることは間違いない。そしてこの日は全員が小菅の湯へ。あまり時間はなかったが、体の芯から温まることができた。
□■現実世界へ■□
バスに乗り込むと、あとは駅まで身をゆだねるのみ。バスの中は規則的な寝息に包まれた。危惧されたとおり、駅への道は混雑しており、予定時間を大幅に過ぎてしまったために、ホリデー快速に乗ることはできなかった。しかし来るときと違い、みんなで一緒に帰れるため、車中も会話が弾む。連絡先を交換したり、これからの話で盛り上がったり。新しい発信型のプロジェクトの構想が生まれたのもこの場であった。