フィリピンのような発展途上国の環境問題を考える際,貧困層の諸問題を避けて通ることはできない。一方において,貧困層は環境劣化に対して常に最も深刻な影響を蒙りやすく,環境問題は貧困を深化させる。たしかに環境は「公共財」の性質を有するが,個々の主体は環境劣化への対応を市場の利用によってある程度まで実現できる。その場合には,貧困層にとっての相対的な費用負担度は非貧困層のそれとの比較において重くなるからである。
しかし,他方で,貧困層が広範な分野にわたる環境問題を深刻化させている例も枚挙に暇がない。小型乗合いバスや輪タクなどの貧困層向けの交通機関は大気汚染と交通渋滞の主原因となっている。運転手達は,費用削減のため劣悪な燃料を利用し,交通法規を破ってまでも乗客を奪い合わなければ日銭を稼得することさえ困難である。スラムはしばしば河川敷に立地するが,居住者は廃棄物や汚物の処理にあたって,公共サービスを享受することもできなければ処理費用もまかなえない。河川排水路への違法投棄に頼らざるを得ず,それは交通渋滞と不衛生な環境をもたらす洪水の原因の一つとなっている。あるいは,かつてのスモーキー・マウンテンのような直接投棄型のゴミ捨て場が貧困層に廃品回収という雇用機会を与える一方で,都市衛生環境を悪化させている状況がある。
したがって,環境保全策は,所得分配上,逆進的効果をもち得ることにも注目しなければならない。交通渋滞解消のために先に挙げた交通機関を規制することは貧困層の雇用問題を深刻化させる。直接投棄型のゴミ捨て場を廃止し衛生埋立化する事業は廃品回収人の職を奪うことになる。排水路汚染の一因を周辺に居住する貧困層が投棄する廃棄物に求めるとすれば,抜本的解決のためには貧困層の立退きを考えざるを得ない。
これらの考察から,発展途上国の環境問題は,これらの国にとって最大の社会経済問題の一つである貧困や所得分配の問題と表裏一体の関係にあることがわかる。この講義の目的は,フィリピンに固有な社会経済的初期条件を前提として,具体的な事例に基づき,環境保全と貧困緩和を両立させる政策,およびその条件を検討することである。