循環の核となる農業の取り組み
この3つを見ても、日本の農業は戦後豊かな社会になって技術が発展する中でこれを目指してきた。これにいかに対応するかが日本の農業の生き残りであったわけです。
しかし、それによって、自然環境との関わりはだいぶ損なわれました。むしろ日本農業が生き残りをかけてきた戦略というのが、または要望されてきたことが、資源循環とか経済循環と農業の関係を切ってきた。そのために今どういうことが行われているかということを最後に申し上げたいと思います。
環境の負荷の高い農業は抑制しなければいけない。これは、例えば工業であれば、炭素税に見られるように、環境に負荷を与えている産業に税金をかけて、そういう産業のやり方を修正させるわけですけど、農業の場合はだいたいそれとは逆の方向から捉える。つまり、環境に負荷を与えている農業経営には、補助金を与えて、それを回避してもらう。そうやって環境負荷を与えないような産業に変えていくということが、日本に限らず欧米諸国でもとられている。それくらい、農業の場合は誰が汚染源かということが特定できない。農業は点としてではなく面として、地域として生産されますので、全体としての汚染システム、環境に負荷を与える農業を抑制するには、環境共存的な農法へシフトした人にその負担を軽減するという形で誘導するということがとられている。
しかし環境から切り離された資源循環、経済循環との輪をつなごうとしているような動きがないのです。農業生産システムの模索ということで、今日私の後に報告があるのは、この点であります。農業生産システムでいかに環境、資源なり経済循環なりをつないでいくかということを歴史的に見ていきますと、ここにあるように、複合経営、それから地域循環型農法といった変遷が見られると思います。
複合経営
複合経営というのは、米を作りながら例えば大豆を作る。一つの経営の中で、二つ以上の作目、畜産が入ってもいいのですが、を取る。昭和30年くらいまでであれば、稲作農家の中にほとんど牛を飼っている。日本の地域によってはそういう仕事を奨励して、残飯だとか、規格外になった米を畜産のえさとして使うという形で、複合経営を奨励してきました。また夏場は稲作ができる、冬は米が作れないという時に、畜産というのは労働力を有効に利用できます。こうして複合経営というのは、自然の資源だけではなくて、農家経営の労働力も含めて有効に使うものとして、目指されてきました。しかし、先程言いましたように、専門化、規模拡大専門化が進むと、それが成り立たない。
地域循環型農業
一方で、時期からすれば地域複合経営のやや後になるかもしれませんが、10年か20年前から、一つの経営の中で地域循環型農業を目指していくものも出てきました。
イメージを抱いていただくために申しますと、一番典型的なのは、残飯養豚というものですね。都市部には残飯がたくさん出ます。レストランとか、食品産業とかいったものですね。日本の養豚産業というのも従来は、都市部の残飯をえさとして、そのゴミを集めてそのえさで飼われていた。その後、そういうものを原型として、エコ養豚、環境保全型養豚というものも部分的に出てきました。それの背景には食品産業がたくさんの無駄をするようになったことがあります。例えばだいたいスーパーの注文というのは午後3時くらいに、最終の注文が確定するのですが、発送するのがだいたい6時くらい。3時間で翌日分を作らなければならない。当然、食品メーカーはそんなのを作れない。だいたいこのくらいの注文が来るのではないかということで見込み製造します。ところが、見込み製造しても、雨とかそういう天候の異変とかで、予想していた通りの注文が来ない。それは、ものによってですが、だいたい廃棄される。残渣というのは、家庭の残飯以上に食品製造業、流通業と対応するために出てくるのが非常に大きなもので、今まではお金を払って処理してもらっていたのですが、そこに目をつけてパンとかミートボールとか、肉まん、あんまんとか、そういうものが養豚農家に行く。私なんかも養豚の調査に行くと、主な作業はミートボールのパッケージを開けて、バケツに入れると。ミートボール、豚肉をまた豚が食べるわけですが、そういうことをしてでも、循環する。さらに糞からメタンガスをとって、固形分は漁業のえさにするということもします。しかし、そういう原料と製品との間で、他産業との循環が持てるというのは、養豚の場合、豚は何でも食べるということで可能なわけですが、すべてにおいてできるわけがない。
そこで、ようやく試みとして出てきたのが、個人でできないなら、地域の中でできないかということだったんですね。
地域複合経営
そこで3番目に出てくるのが、地域複合経営というものです。個別の農家が専門化しても、一つの地域の中でワンセットとして循環するシステムが作れないかという試みです。畜産と穀産と野菜産、といったものを一つの系じゃなくて、一定の地域内で専門的な農家が集まれば、そこでの残渣なり、労働力というものが有効に使えるのではないか。そうすれば、その地域の土地問題解決や、雇用の確保、というものもできるのではないか。
しかしこれも現実は難しいのです。というのも、重要なのはやはり穀作と、畜産、畑作という主にその3つで、一定の地域でそのすべてが産地化できる地域というのはそれほどない。日本であれば比較的めぐまれているのは十勝地方ですね。畑作地帯でもあり、酪農地帯でもある。または、米はありませんが、ビートとかジャガイモ等の産業もある。そういう食品産業や農業の中でのバランスが保てるというところはだんだん少なくなってきた。一つの地域を見れば、ここは米地帯とか、酪農地帯とか、促成栽培の野菜地域といったように、地域全体が専門化してきている。
地域内で循環を取り戻す農業の取り組み
最後に、先程あった、地域でもう一度循環を取り戻せないかという試みが出てきているということをご紹介したわけです。
これは、原料と製品の循環を、それぞれの農業だけではない形で循環できないか。その代表がたぶん残渣であると思います。今や、農産物を作る所と農産物を食べる所が非常に離れてしまっている。情報も物も離れてしまったために、それをつなごうとしても個人ではつながらない。先程の食品コンビナートのすぐそばにある養豚産業とはつながるかもしれないが、一般的にはそこは非常につながりにくい。そこで、生産者と消費者をつなぐということが見られるようになった。
大きく分けて2つあります。一つは、学校給食とかホテルとか、そういう外食産業と生産者のように、点と点を結びながら、二次地域を線で結んだ形での連携。もう一つは、点と点を結ぶのではなくて、生産されたところでの循環を維持していこうというものです。言いかえると、消費者が循環を取りにいったのが前者で、生産者が循環型の農業を維持していきたいと言ったのが後者になると言っていいと思います。
ところが、農業というものは、実際私達みんな農産物を食べますから、誰でも利用者になる。そして残飯は誰でも出す。工業とは違って、農産物とか農業というのは、地域の資源循環を接着すべき非常に大きな役割を担っている。今まで農業というのは単に生産資材を用いて生産して食品を作って消費してもらうというところまでだった。しかし、消費した残飯などをもう一度肥料にして生産に戻すというふうに、資源循環をつなげるのは実は農業しかないであろう。それを都市側からと、農業側から求め始めている。今日ご報告するのは、農業側から求めている事例を通じて、本当に循環というものはつながるのだろうか。誰がつないでくれるのかとか、どういう課題があるのか。結論的にはそう簡単にはつながらない。なぜつながらないかというのは、日本農業の特質みたいなものを前提として考えなければならない。
日本農業の特徴と地方分権
簡単に一言だけ申し上げて私の話しを終わりたいと思うのですが、一つ日本の農業の前提として重要なのは何かというと、日本の農業は高齢者と女性によってしか支えられていないことです。一部の若い人達が農業をやっていますが、主に支えているのは高齢者と女性だけ。それを無視して循環をつなぐというのはできないということが一つ。
2つ目は、こうした地域循環型農業というのは、何のために必要なのか、どういうことを期待すればいいのかという点です。それは、最近あるような地域分権、財源の問題でよく言われますが、実は私自身は地域循環型農業というものは、農村なり地方というものが自分達の経済圏というものを見直す上での一つのキー概念であると考えています。
例えば、東北地方の人が食卓に並べているものは、九州であったり、北海道であったり、全国各地、または外国の農産物を食べている。地元の農産物はほとんど食べていない。その中で、地方の経済というのは何なのか。安定性を求めて、その地域の最低限の基盤になるようなものとして農業を位置付けることができないかどうか。これは、国全体の食糧の安全補償のアナロジーにも関わりますが、各地域毎としての農業の安定性、安全補償、経済水準の安全補償としての農業のシステム、循環を作ることが、実は地方分権の実現する上で、遠回りなようであるけれども、最も近い考え方になるんであろうと思っています。そういう意味でこれから報告していただく、山形県の長井市のレインボープランという生ゴミを堆肥化して有機農業を行う、地元でそれを消費していくという、一つの例ではありますが、今申し上げたようなコンテンツの中で聞いてみてください。
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