以下の文章は環境三四郎が初回講義(4/14)で行ったプレゼンテーションです。
■ 「持続的社会」:それを考える導入=割り箸
今日はまず、今回のテーマ講義で「持続的社会」という副題を設定した問題意識を説明しようと思います。 抽象的な話をしていてもなかなか分かりにくいと思うので「割り箸」という身近な話題を例にして私達の問題意識を説明します。
■ 日本人は割り箸をたくさん使っている
みなさんが普段、お弁当を食べる時やレストランで使っている割り箸。日本人は一年間にいったいどれくらいの割り箸を使っていると思いますか。林野庁の調べによると、1998年には一年間に消費された割り箸は245億膳。一人あたりにすると一年で200膳消費する計算になります。
■ 中国からの輸入が多い
ところでこの割り箸は以前はほとんどが国産材が使われていましたが、1970年代から海外から輸入されるようになり、現在は割り箸の95%が中国から輸入されています。
■ 日本での割り箸生産方法:間伐
中国での生産について触れる前に、日本で割り箸がどのように作られているかについてお話したいと思います。日本では、割り箸は、林業には欠かせない 「間伐」 を行う際に生じる不要な木を原料として作られています。みなさん、間伐ってご存知ですか?ここで、少し林業について説明をします。
■ 間伐って… : 自然との共存
森林には大きく分けて、原生林と人工林があります。原生林は放置しておいても生態系が健全に維持されますが、人工林の場合、木が成長するにつれて、部分的に伐採して、森林の密度を適度に保たないと、森林は健全に成長しないのです。間伐とは、森林の密度を下げるために、木の間引きや、枝打ちをする作業のことです。 間伐について分かっていただけたでしょうか?
こうして生じた間伐材は基本的には小さい木を伐採したものなので、利用価値は低く、森の中に放置されて捨てられています。それを原料に割り箸を作っていたのです。 間伐材を割り箸として使うということは、資源の有効利用とも言えます。健全で機能の高い森林を育成するためには間伐を適切に行うことが必要です。また、間伐などの手入れを行うことによって、その森林の生態系が健全に維持されるのです。良質な木材の産出、森林の適切な管理・手入れ、健全な森林の育成という好循環が生まれています。
■ 中国での生産方法:皆伐
一方、日本での消費量の約94%をも占める中国での生産はどうなっているのでしょうか?間伐材を利用するのではなく、割り箸生産を目的として森林が伐採されているのです。そこでは「皆伐」といって一斉に伐採する方法が取られているのです。本来林業においては、継続的に木材供給をおこなうために、森林を伐採するのと同時に、森林を育成することが必要です。しかし、ここでは森林を伐採するだけで、植林などの育成のための措置はとられていません。しかも、大規模な皆伐は時に表土の流出・荒廃、大洪水をまねくこともあるのです。中国の林業は遠からず崩壊するといわれています。
■ どうすれば良いの???
では、そのような問題を前にして、私たちは、どうすれば良いのでしょうか?割り箸を使うのをみんなで一斉にやめればよいのでしょうか?しかし、中国の割り箸産業に関わっている人たちは職を失ってしまうし、また、割り箸を使うのをやめても、割り箸にかわる代替品、例えばプラスチック箸などがでてくるでしょうが、それと割り箸との総合的な環境負荷の比較をしなくてはなりません。もしかしたら、代替品の方がより環境に与える悪影響が大きいことだって、考えられるのです。また、割り箸の代替品が普及することによって、国産の間伐材割り箸も売れなくなってしまったら、資源を有効利用し林業の活性化にも役立っていたはずの国内の割り箸業者がつぶれてしまいます。かといって、このまま割り箸の大量消費を続けていたら、中国の森林は壊滅してしまうかもしれません。森林の育成、管理をしっかりとすればいいじゃないか、植林すればいいじゃないか、と思われるかもしれませんが、では生産地において、そのための資金をどこから継続的に得ることができるのでしょうか?
■ まとめると…
この割り箸問題の例からも分かるように、環境問題に共通することとして以下に言う三点が指摘できます。キーワードは「二項対立」「いたちごっこ」「対策の非実現性」の3つです。
■ 二項対立
まず1つめは、問題構造が二項対立的に単純化されて捉えられやすいということ。二項対立とは、割り箸問題で言えば、『「割り箸を使う」対「割り箸を使わない」』ということです。他にも、環境問題の分析や解決を論じる際に「人間対自然」とか、「開発対保全」、あるいは「先進国対途上国」といったような対立の図式が見うけられます。このように、問題設定を単純化しすぎると、どちらかの要素を否定してしまいかねず、より現実的な解決にたどり着きにくくなってしまいます。
■ いたちごっこ
2つめは、個々の問題の解決に固執するあまり、ある問題に対する対策自体が別の問題を生むといった、いわば、「いたちごっこ」の状態に陥っている、ということです。もしも、割り箸の消費量を減らす、という対策のみに固執してしまったら、失業者対策や代替品との比較が軽んじられかねません。対症療法的な対策が小出しにされ、問題の背景にある本質的な矛盾の解決が先送りにされてしまう可能性があるのです。
■ 対策の非実現性
3つめは、大きな成果をあげうる技術や方法があっても、それが実行されない、もしくは実行されたとしても、広く継続的にはなされない、という現状があります。育成や管理の行き届いた健全な林業を行うためには、そのための資金を継続的に得なければなりませんが、その資金が得られなければ、育成や管理をしっかりと行うことは難しいでしょう。
■ 「持続的社会」を描くことが必要
以上の三点を解決するためには、環境問題と呼ばれる問題のそれぞれのつながりを包括的に捉え、さらに、問題を社会の中で明確に位置付けた上で、それを解決した新しい社会像、新しいヴィジョンを描かねばなりません。環境問題を包括的に解決した社会のヴィジョン―それが本テーマ講義の副題にもある、「持続的社会」なのです。 「持続的社会」のヴィジョンを持って環境問題群を捉えることにより、
- 不毛な二項対立を超えた、建設的な問題設定
- 対策と問題の「いたちごっこ」を超えた、包括的・根本的な解決策の発見
そして、
- 対策が効果的に実行されない現状を超えた、新しい社会システムの模索
が可能になるのです。
■ 三四郎の考えた「持続的社会」
私達環境三四郎はこの「持続的社会」のヴィジョンを描くために考えなければいけないこととして、「人間と自然との関わり」、「人間社会の中での物質循環」、「南北問題」、「エネルギー」という4つの要素を考えました。そして、これらそれぞれについての問題を解決するための、一つの有効な手段として、「地方への分権と分散」ということを考えました。
これから、それを少し説明させていただきます。一つの例として聞いてください。
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