さとうきび刈り座談会

2005年2月から3月にかけて、環境三四郎メンバー6人が西表島のさとうきび狩り体験に参加してきた。この企画に参加する学生たちは「きび刈り隊」と呼ばれており、過去にも多くの環境三四郎メンバーが参加してきた。彼らは何を考えて西表島に赴き、何を感じてきたのだろうか。東京はまだ肌寒い2005年4月、今回の「きび刈り隊」参加者がそれぞれの思いを話し合った。 【文責:藤井康平(9期)】

【参加者】
向江拓郎(7期:農林水産省):司会
春原麻子(9期:総合文化研究科修士1年)
藤井康平(9期:総合文化研究科修士1年)
桐生朋文(10期:農学部3年)
下川 潤(12期:理科T類)
田中序生(12期:理科T類)

きび刈り隊の歴史と三四郎とのかかわり

写真1向江:それではさとうきび刈り座談会を始めます。始めに「きび刈り隊」と三四郎との関係について教えてもらえますか?
春原:学生による「きび刈り隊」が始まったのは2002年の春です。当時東京農業大学の2年生だった一人の学生が、2001年の夏に学校の実習で西表島を訪問した事がきっかけでした。そこで彼はあるさとうきび農家の方と運命的な出会いをしました。二人は「学生に西表島と農業を知ってもらいたい」という共通の思いから意気投合し、翌年2002年から学生による「きび刈り隊」を開始させたそうです。私が偶然彼と知り合いだったので、「じゃあ三四郎のメンバーも何人か誘おうか。」というお誘いを受けた事が三四郎と「きび刈り隊」とのつながりの始まりでした。2002年の参加者は環境三四郎メンバーと東京農業大学の学生だけの14名でした。2年目からは大々的に参加者募集も行って約30人の参加者が集まりました。2004年は40人、そして2005年の今年は50人と、どんどん参加者が多くなっています。
藤井:今年から新しく「きび刈り隊」のための宿泊施設が出来ました。きび刈りをコーディネートしている農家さんが営んでいる民宿です。今までは建設会社のプレハブを借りたり、誰も住んでいないボロ家を借りたりして、本当に大変でした。あ、ちなみにその民宿のホームページは僕が作っています(笑)。
向江:なるほど、「きび刈り隊」が始まったのは思ったより最近の話なのですね。

「きび刈り隊」に参加した理由

写真2田中:向江さんはなぜ「きび刈り隊」に参加しようと思われたのですか?
向江:僕は2月の上旬から参加しました。学生のきび刈り隊ではなく、農家さんに個人的に問い合わせてきた方々と一緒のきび刈り体験でした。沢山の人が参加していた3月以降に比べて、2月の参加者は多くありませんでした。
春原さんが2月上旬に参加するという話を聞いて、「じゃあ一緒の時期に行ってみよう。」と思ったのがきっかけです。だから、学生の「きび刈り隊」を通してなくて、個人的なつながりで参加したということになります。就職をする前にどこか旅行に行こうと思っていたのですが、寒いのは苦手で就職先が農林水産省だった事を考えると、西表島は暖かいところで、しかも長い間泊り込んで農作業するということだったので、良い機会だと思って参加ました。他の皆さんはどうですか?
田中:僕も最初は春原さんからのメールで「きび刈り隊」の事を知りました。最初はなかなか参加する決意が出来なかったのですが、去年のクリスマスパーティーで春原さんと藤井さんに「きび刈り隊」について熱く説かれて、「これはもう行くしかない!」と決心しました(笑)。それから、駒場生のうちに色々な体験をしたかったことも理由の一つです。農作業は体験したことがなかったので、自分にとって良い経験になると思いました。
向江:桐生君は?
桐生:僕の場合は、単純に気分転換というか現実逃避ですね(苦笑)。青い空の下で農作業をして、新しい友達と泡盛を飲んで語って、そんな時間が欲しくて参加しました。実家が農家だったので、農業体験をしてみたいという気持ち特にありませんでした。
向江:桐生は過去にも一度西表島に行ったことがあるのだよね?
桐生:はい。大学1年生の時に4期の大竹さんの企画で西表島に2週間行きました。ですが、その時はきび刈りの事は知りませんでしたし、一緒に行ったメンバーも環境三四郎の同期が殆どでした。今回初めて知った事もたくさんありました。
向江:春原さんはどうでしょう?
春原:私は2002年の春から4回連続で西表島に行っています。一番初めは「西表島」と「農業体験」という二つの言葉に惹かれて参加したのがきっかけでした。今思えば若さゆえに出来た思い切った行動でしたね。桐生君とは正反対で、都会っ子の私にとっては西表島のような田舎で生活すること自体が貴重な体験でした。農作業も芋ほり程度しか体験した事が無かったのでカルチャーショックでした。最初の参加を「良い体験」で終わらせたくなかったので翌年も参加しました。3年目、4年目はそのまま惰性で参加しました(笑)。行かない理由がなければ行く、という感じに今はなっています。
向江: 4年連続参加は凄いですね。下川君はどうかな?
下川:最初は環境三四郎のメーリングリストで「きび刈り隊」の存在を知りました。僕は「文明社会よりは自然だろ」という考えを持っていたのですが、その一方で農家に行ったことがない。田舎で生活した事がなければ、自然を語ってはいけないだろうと思ったのが参加の動機です。あとは単純に楽しそうだということと、後でネタになると思った事が動機です。社会勉強の一環ですね。
向江:藤井君も何度か参加しているのですよね?
藤井:そうですね。2004年の春を除いて、今まで3回参加しました。一番初めのきっかけは、大学1年生の時に春原さんから誘いを受けたことです。単純に南の島での生活が面白そうだと思って軽い気持ちで参加したのですが、行ってみたら想像していたものと全然違って本当に驚きました。学部の4年間で受けたカルチャーショックの中で一番大きかったと思います。2年目以降は、西表での生活が良かった事と、1回目とは違ったものが見えてくると思ったことが参加の動機となりました。本当は1回だけの「良い思い出」で終わらせるつもりだったのに、誘惑に負けて何回も行ってしまいました(笑)。

さとうきびを刈るということ

写真3向江:ではいくつかトピックごとに話していきましょう。まずはさとうきび刈り自体に関して、田中君はどのように感じましたか?
田中:僕は広島出身なのですが、最初農作業は簡単なものだと思っていました。でも実際に「倒し」(注:さとうきびをナタで倒す事。)をやってみると、すぐに喉が渇いて作業効率が下がってきて、草取りも一日中同じことをやって、本当に大変でした。農業の大変さをひしひしと感じました。
下川:僕は最初からある程度きついだろうとは思っていました。以前間伐体験に行った時に予想以上に辛かった経験があったからです。ただ一番辛かったのは、きび刈りでは無心にならなければいけないということです。自分と農家さんとで真剣さが違うのです。それこそ農家さんは無心で真剣。これが自分と農家さんとの差だと思いました。それから、東京に帰ってきて感じたのですが、東京では考えることが一杯あるけど、きび刈りの時だったら手に入れるべき情報は手に持った一本のさとうきびだけ。それを考えると現代は情報量が多過ぎると思いました。
向江:農家の息子であり体育会系の桐生君はどうですか?
桐生:そんな前提は要りませんよ(笑)。下川君と似ているかな、「何も考えないこと」が難しかったですね。東京での余計な事は全部忘れて純粋に西表島での日々を楽しむのが目標だったのに、最初の1週間くらいは余計な事ばかり考えていました。後半はきび刈りの作業に慣れてきた事も手伝って、目の前のさとうきびに集中出来るようになりました。 朝から晩まで黙々とさとうきびを刈って、ご飯作って、夜は黒砂糖をつまみに泡盛を飲んで。そんな生活の中で一番感じた事は、「生きる事はこんなシンプルなものなのだ。」ということです。他のみんなも言っていたように、東京は情報が多すぎる。考えさせられる事が多すぎて、人が生きるために本当に必要な労働が見えにくくなっている。西表島での生活を通じて、人と人のつながりの重要性が再発見出来た気がします。自分達が食べているものが、どれだけ多くの人の手を渡ってきているのか、肌で感じる事が出来たのが嬉しかったです。 先ずは東京で出来る事として、食事の際には「頂きます」と「ご馳走様」を必ず言おうと自分に言い聞かせました。
春原:私はかさぐ(注:倒したさとうきびの皮を鎌で剥ぐ事)時とかさぎ終わった後に、さとうきびに手を合わせるようにしていました。「ありがとうございます」の意味を込めて…。
桐生:あ、その気持ち分かります。僕は「お疲れ様でした」という気持ちを込めて、鎌やナタを研がせてもらいました。
春原:私はきび刈りという作業そのものが好きだからリピートしていると思います。きび刈りに行って自分は頭脳系じゃなくて肉体系の人間だと思いました。やるべき事がルーティンワークで決まっている事に対して、喜びを感じる人間なのです。
向江:仕事のスピードの話だけど、アルバイトとしてさとうきびを刈りに来ている人達と比べると、自分の作業が遅いので申し訳無いと思いました。
春原:確かに早く作業をすることは重要だとは思いますけど、さとうきびの一本一本に対して「早く作業をしなければ!」と思うのは、さとうきびの命を軽く見ているようで、私自身はあまり好きな考え方ではないですね。
桐生:今回の場合、僕達は必ずしも早い仕事をする必要は無かったと思います。農家さんも僕らに早い仕事は求めていなかったのでは。例え作業が遅くても、一生懸命やることの方が重要だと思っていました。
向江:行く前はさとうきび刈りなんて簡単だと思っていました。でも実際にやってみたらものすごく大変。日本は砂糖を自給出来ていないのですよね。こんなに凄く大変な作業をやっているもかかわらず、日本の時給を支えられないちっぽけな僕、と感じて悔しかったです。

自然の恵みを感じながら生きる

写真4向江:少し話を広げて農業について話しましょう。僕が今回感じたのは、農業とは土があって初めて作物があるのだということ。コンクリートに覆われている東京にいると、こういう想像力が働きませんよね。でも土の上に立って、さとうきびが育つ姿を実際に見ると、結局は自分も土に支えられているのだと強く思いました。東京にいても言葉では分かるのだけど、西表では言葉じゃなくて実感できました。
藤井:僕も今回似たような事を感じました。農業からは少し話が逸れるかもしれませんが、今回とある農家さんにイノシシ狩りに連れて行って頂いた時の話です。今までも何度かその方が獲ってきたイノシシを食べたことはありましたが、実際にイノシシ狩りに行くと今までの感覚と全く違ってくるのです。生きたイノシシを捕まるところから殺して肉片になるまでの全ての行程を見ると、生き物に感謝せずにはいられません。イノシシを殺した時の断末魔を聞いて、「あぁ、自分はこのイノシシの命をもらって生きているのだ」と本当にそう思いました。普段都会にいると、「生き物の命をもらって生きている」というのは言葉では分かっていたのですが、やっぱりどうしても実感が足りない。実際に山へ足を運んで、命がけでイノシシを捕まえ、生きたまま麓へ持ち帰って殺すという行程を見るということには、言葉にはない説得力であるのです。
桐生:自分が他の生き物の命をもらっているという実感は、僕も本当に大切だと感じました。また、農家さんの話もすると、彼らは自分の気持ちを表現するのがすごく上手だということを羨ましく感じました。こういう風に自分もなりたいと思ったし、なぜ自分がこういう風になれないのかとも思いました。命のつながりを感じた西表島だったからこそ、そんな事を考えたのかもしれません。
藤井:そう言えば、ヒッチハイクしたときの運転手さんは大阪出身の人だったのだけど、「こっちに来るとなるとやさしくなれる。」って言っていましたね。
向江:何故そういうことが起きるのでしょう?西表ではみんな優しくなれるのかな?自然に囲まれるとそうなるのかもしれませんね。

集団生活について

写真5向江:僕にとっては「きび刈り隊」の時が初めての集団生活でした。「何だか良いなぁ。」と思いました。何で仕事をすると仲良くなれるのでしょうね。おそらく西表島という環境要因もあると思いますが。
桐生:本当にそうですね。西表島での感動を多くの人達と共有出来たのは素晴らしい経験でした。 ただ僕は今回、環境三四郎からの参加者だけでなく他の大学からの参加者も含めて、全員が一人で参加していれば良かったのにと思いました。知っている人が一緒にいると、どうしてもその人と話をしてしまう。逆に、新しい人に話しかけようと思っても、近くに知り合いがいると何だか気恥ずかしい。誰と誰は元々知り合いなのかな、と想像してしまう事で疎外感も生まれてしまう。そうすると、新しい環境に自分から飛び込んでいく事を躊躇ってしまう。それってお互いにとってすごく勿体無い事だと思うのです。初めて会う人達と共同生活をする事で、自分の事を伝えようとする度胸や、逆に相手の事を考える力も身に付いたと僕は過去の経験から思っています。そんな集団生活の醍醐味が、今回のきび刈りでは弱かったような気がしました。
春原:私は集団生活を行うと、細かいことが気にならなくなるのが好きですね。うちの母親が清潔志向で、一日髪を洗わないと臭いと言うのですけど、でも西表に行くと綺麗に髪を洗わなくてもいいわけで、生き物として逞しくなる気がします。それに一緒に生活している人と話すことは楽しいし。もちろん話す中で人との違いが浮き彫りになるけど、それは自分にとって本質的じゃないという思いもあります。
藤井:僕の感想は…、みんな本当にいい人でした。東京で会ったら絶対に友達にならないような人とも、西表島だとなぜか仲良くなってしまうのです。これは最初の向江さんの話につながると思うのですが、いつも不思議に思います。

それぞれが得たもの

写真1向江:西表やきび刈り全体を通しての感想はどうでしょう?
下川:僕はまず、あれだけ自然が存在していることに驚きました。集落を少し離れると本当にジャングルがある事に衝撃でした。僕が伺った農家さんの畑なんかは、周りがジャングルでその中に田んぼがあるような感じで、田んぼの起源を想像出来ました。そう考えると、今の東京だってそういう過程を経て、結果的に今のようなとんでもないところになったわけで、文明のスタート地点を目で見ることができたと思います。 ただ、人間自体には関心がなかったことが僕自身の問題点です。普段から実家でも、人よりも山や風景に関心があって原風景に憧れているのです。そういう意味では、西表島には物足りなさを感じました。
向江:僕は反対に人との出会いに感動しました。自然に興味がないのかもしれません。あとは物流と農業についてかなり考えましたね。結局は物に支えられている、全てのものは土に通ず、ということで。あと、暑いのにびっくりしました。2月なのに海で泳げるのだから(笑)。
田中:西表での生活は、今の日本というか東京と全然違って、地域のコミュニティーがしっかりしていて驚きました。そういうところで生活すると、現代社会って何なのだろう、今の日本って何なのだろうと思いました。西表で農作業中心の生活だったら、さとうきびの事だけを考えて生きていけばいいけど、東京だと何のために生きていけばいいのか分からなくなってしまいます。自分の答えは見つかっていませんが、さとうきび刈りを通してその疑問を発見できたのは大きな収穫だと思います。
向江:僕は西表島へ行ってさとうきび刈りをするまでは、春原さんの考え方―つまりその辺に生えている草を食べられたらいいとか、自分の食べるものは自分でつくりたいとかいった考え方は、ある種特異な考え方だと思っていました。ところが、西表島へ行って農家さんやバイトさんと話してみると、そういう価値観を持った人が多い。もしかしたらそういった価値観は普遍的なものなのかも、と思いましたね。
藤井:今回はっきり思ったのは、西表島での生活は僕にとって非日常だ、ということです。いくら素晴らしいところであっても、非日常からは脱却しなければいけないと。西表での経験を僕の日常への糧とすることは出来ても、西表で一生暮らすことは出来ませんからね。西表には流れてくる人だったり、バイトの人だったりと様々な人がいるわけですけど、みんな自分の日常が何かということを心の奥底で考えながら生活しているわけです。そういう人たちと話して、自分の核を持つことの重要性というのを教えられたと思います。バイトの人たちは自分の生き方について僕なんかよりも真剣に悩み考えていて、そういう点を見習わないと、と思いました。
桐生:日常と非日常を区別する大切さは僕も強く感じました。非日常は日常があるから非日常足りえるのであって、自分にとっての日常が何かを常に意識しておく事はとても大切だと感じています。そうでないと、東京に帰ってきた時に途方にくれる事になる。帰る場所があって自分のやるべき仕事があって、自分がこれだと思える環境があるからこそ、西表島で学べることは多くなると思います。つまり、「これは非日常だ」ときちんと意識しておく事で、また違った視点で得られる刺激があるという事です。 先ほど「今回は何も考えない」ことを西表島に行く前は目標としていたと言いました。ですが、今考えるとそれは間違いだったと思います。そう思っている時点で、自分の気持ちを騙している事になるからです。自分に素直に、その時感じた事を抑圧しない事の方が、それを素直に他の人と共有する事の方が、ずっと大切だと思いました。今回僕が西表島で学んだ事の一つですね。素直な気持ちで人に飛び込んでいく事の大切さです。こういう気持ちでいるべきだ、何て考えながら人と話していたって、相手に気持ちは伝わらないって痛感しました。 とにかく、自分にとって旅とはなにか、日常とは何かということを問い直せたのが今回の最大の収穫です。これからも一生懸命な気持ちを忘れずに、色々なところに行って色んな人と会って自分を成長させたいし、出会った人に成長を与えたいと思います。
向江:なるほどね。
春原:日常と非日常の話ですけど、私自身象徴的だと思ったのが去年のきび刈りで、予定より4日も早く帰らなければいけなかった事です。大学のレポート提出が理由だったのですが、そこで改めて西表島での生活が非日常だということを感じました。同時に、何で大学が嫌いなのに大学に戻らなくてはいけないのか、と思いました。大学で研究するのは自分には合わないという考えが芽生え、将来農業をやろうという思いにつながってきました。

向江:様々な意見が出てきましたね。みなさんそれぞれが全く違う感想を持っていることに驚いています。僕自身は下川君、田中君の12期二人と近い感想です。桐生君は実家が農業で海外にも行っている。春原さん、藤井君は西表島に何回も行っている。やっぱりそれぞれが身を置いている環境で考え方は変わってくるのかもしれませんね。最初は感想や意見を統一してまとめようと思ったのですが…、それは無用のようですね。これからもこうしてお互いの考えを話し合える場を設けたいですね。今日はみなさん有難うございました。

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