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宇井先生事後質問会

宇井純

Question

 客観的な事実というものが本当に存在するのだろうか。


Answer

その気持ちはわかるし、不確定性原理というものもある。不確定性原理は物理の世界におけるミクロなものだと思っていたが、社会科学にもやはりあるということで悩んだことがある。水俣病のケースでいうと、清浦雷作教授は工場排水と水俣病の因果関係を知っていてわざと隠したのですね。それを洗い出してみると、清浦教授は客観的事実として(水俣工場と同様の工場のある)他の地域を挙げて、「こういうところを測ったら水銀が多かった。」とした。しかしその地名は隠した。これは確かに作為的にやったことだけれど、その地名を最初から知っていれば苦労しなかった。やはり客観的な部分はあると感じます。そのような部分は明らかにしていく必要があるのではないか。

 アメリカの教科書は、当たり前のことまで丁寧にかいてある。僕がミシガン州立大学という真ん中くらいのレベルの代表的な大学に一年間いた時に、自分の子供を高校と中学に通わせてわかったのだが、中学・高校は進度が日本より一年から二年遅い。そして大学に入ると、図書館と教室とをくるくる歩いているだけで週が暮れてしまう。そうして勉強するうちに、東大と同じくらいのレベルになる。アメリカの大学でいうと、だいたい真ん中くらいが東大の場所になる。東大は日本では一番水準が高いけれど、そこに入ったからといってすぐに一流にはなれない。ただ、教養学部という強みはある。アメリカの大学はそのあたりでは苦労していて、教養を広めようとしている。
 多くの学生は、大学に入って場合によってはかなり高度な内容の専門書を読むことになる。そのため、教科書は高校生でも読めるくらいにやさしいところからきちんと書いてあるのだ。日本では高校までの教育を前提とすると、大学での教育が成り立たないというケースもある。医学部なのに生物をやっていない、とか工学部でも補習をしないとついていけないなど。教科書を作る時にも、それを気にして作らなくては認められない。

 客観的事実としてどこまで皆で認めるかということですが。例えば「ににんが四」みたいなものが環境科学にあるとする。ここから先は自分が方針をもって行動するところです、という感じに。そういう定石集みたいなものができないかと思ってます。




Question

 水俣病の場合は作為的に隠したという話がありましたが、何も隠さなくても真剣に対立することは起こりうると思います。これについてはどのように考えますか?


Answer

 イタイイタイ病において、カドミウムであるかどうかという論争があった。病気の原因を調べようとして、最初はリウマチに詳しい先生が知っているのではないかと言うことで聞いてみたが、うまくいかなかった。そこに吉岡さんという農学者がきて「あ、これは鉱山だ」と言うことをいった。この人は鉱物についての詳しい知識を持っている人だった。言われてみればカドミウムは、私達にとっては毎日触るようなありふれた物質だった。

 イタイイタイ病も水俣病に関しても一番つらい時期を乗り越えたお金は、アメリカからもらっている。日本の科学政策を思うと大変恥ずかしい話である。私と原田正純さんは、水俣病の研究費を国からはもらっていない。もちろん、申請しない私も悪いですが。しかし水俣病の患者をみると、研究費はどうしてももらえなかったので申請ができなかった。それが、日本の科学政策なのです。

 これから環境科学というのは、東大の教養の中で半分ぐらいを占める位置になるのではないかということを思っている。科学の総合化により文系の人にはますますわかりにくくなっているが、環境の面から整理するとかなりわかりやすくなるのではないかと思う。環境というキーワードで統合するのも可能だろう。

 「蝶はなぜきれいなのか」ということを問題意識に持って、生物科に入ってきた人がいた。しかしその人は東大教授から「蝶がなぜきれいかなんて調べる必要は無い」といわれて東大には入れなかった。しかし、自然が何故きれいなのかと言うことは建築などをやる人間も哲学をする人間も考えないといけない問題だし、環境問題での景観の問題にもつながる根本的な問いなのではないか。

 沖縄の畜産排水処理を見に来た、平仲君というウェルター級の世界チャンピォンがいる。彼に「世界チャンピォンというのは、どれくらい見込みがあれば挑戦するのか」と聞くと、「2割か3割です。」という答えが返ってきた。僕らは5割以上の成功の見込みがないと実験を始めない。普通だと7,8割だ。やれば必ず当たることばかりやる。2割、3割ぐらいの成功率で実験をするのは度胸がいる。もしやって失敗したら、傷つき満身創痍になってしまうでしょう。しかし失敗して体験したことの積み重ねとして、私の60年間の実験の実力はできてきた。結論としては私達日本の科学者は度胸が無いということです。平仲君みたいなボクシングで世界トップをとるような人には、すごい度胸がある。

 公害の世界を考える時に、皆さんがこれからどういう企画を立てるかですが、関西グループの頂点としての宮本憲一さん、関東グループでは都立大の飯島伸子さんの話はぜひ聞くといいと思います。彼女は日本で一番詳しい公害の歴史の年表を作りました。

 80年代になって、自民党の中で「環境庁なんてうるさいのはつぶせ」という声がでてきたことがありました。それを、「地球環境問題というものがあります。これはゴビ砂漠を緑化するなど巨大な事業になります」と、誰かが竹下登と橋本龍太郎に知恵をつけた。そして、環境庁は生き残り、橋本龍太郎がこれを省に格上げしたのです。彼らのイメージは、ゴビ砂漠の緑化などの巨大工事です。日本の公害問題は全く別の問題だとすることにより環境庁は生き延びた。

 皆さんが受けてきた教育について僕は調べたことがあります。中学高校の教科書に環境問題がどう書かれているかです。政府や自治体はちゃんとやっていると書いている教科書には、四大公害訴訟の例えば水俣病はチッソが起こしたこと、社名が書いてある。また他の教科書には会社の名前は伏せてあった。おそらく編集者との間に「こっちは譲歩して削るからこっちは書かせてくれ」という綱引きがあったのだろう。また、1975年には日本の公害対策の設備投資は1千億にもなるとあった。確かにその年は突出して高かった。しかしその前後では半分以下くらいだった。高いところだけを挙げて、「日本はこのくらい金をかけている」というのを強調している。これは嘘ではない。しかし本当でもない。皆さんが受けてきた教育と言うものはそういうものです。嘘ではないが本当ではない。そのようなことは教科書を並べてみてわかったことなのですが。
 こういう経験から日本での地球環境の議論は、私は半分くらいしか信用しないことにしています。



宇井純

Question

 地球温暖化の問題について現場に出ると言うことはどういうことなのでしょうか。あと、公害問題と地球環境問題の関係を教えていただければ。また、「国へ帰れ」とおっしゃっていましたが、都会出身の人ついてはどうすればよいか。


Answer

 一番最後の質問については、奥さんの里でもいいのではないか。故郷でなくても、こじつけでいいのだ。人格形成に大きな影響を受けた場所、気に入った場所でもいいだろう。大都会を相手にするには大きすぎて歯が立たない。今いる沖縄大学は吹けば飛ぶような大学だが、やったことの影響がわかりやすい。

 現場についても、自分で勝手に決めていいのではないか。理屈はどうつけてもよいから、大事なのは自分が本当に現場だと思えるかどうかということ。今はそのようなものが無さすぎるのではないか。10年くらい前に東大の都市工に行った時の話だが、オゾンのシミュレーションの研究をしている人がオゾンの匂いすら知らないという事態はおかしいと思う。それでも研究の結果は出るかも知れないが。地球温暖化だとしたらメタンや亜酸化チッソなどのガスもある。例えばガスが牛のゲップから出るならば、牛と少しつきあってみたらどうだろう。このような現実とのつきあいなしに何%という議論を東大生はやってきた。せめて罪滅ぼしに、自分が現場だと思うことをこしらえてそこで鈍くさいことにつきあってみてはどうかと思う。

 現場で一番苦労したのは環境アセスメントだ。等方性拡散を使うと、1kmか2km先でも拡散して影響はないという計算結果が出る。しかし実際には、田子の浦では20km先までパルプ工場の影響が出ている。なぜだと考えてわかったのは、時間的な平均と空間的な平均をとって拡散計算をすると、必ずそうなるということだ。潮や風がある場合には、排水があっちに行ったりこっちに行ったりして全然予想がつかないのに、それを平均で出した結果に重ね合わせる理論が使われている。東大の教授の一人がこの理論に対して答えられなくて辞めるなど、様々な因縁がある等方性拡散だが、いまだにすべてのアセスメントで使われている。これについての議論は済んでいるのに、行政は取り入れていない。等方性拡散にこだわっている。規制のパラメータに何を選ぶか、それは非常に政治的な判断である。60年代後半、何も規制する法律がなくて企業は流し放題であった。それに対して「規制する法律がないから何も聞く必要がない」という企業に対して、行政は「下流の住民から苦情がでますので」と企業にもみ手をしてなんとかお願いした。そうして出てきた規制だから、住民にとって不利で企業にとって有利なBODのようなパラメータが選ばれたのだ。そのようなことは法律を読めば一応はわかるが、「なぜそうなったか」については知っている人間がいなくなれば迷宮入りとなってしまう。そのため、私は公害原論にそれらのことを書いたものだ。




Question

 地球温暖化係数(フロンなどのCO2に比べて)については、100年間、500年間、1000年間のとりかたで結果は違う。パラメータのとりかたが多分に政治的な問題だと思いました。


Answer

 シミュレーションをやっている人は環境問題に関心があるというより研究費が出るからやっている。自分の問題意識を持っている教員は、どれくらいいるのかと思う。




Question

 沖縄という小さくて影響が現れやすいところで、市民の役割・影響はどのようなものですか?


Answer

 沖縄では、市民セクターの役割は大きくなってきている。そこに住んでいる人が声をあげなければどうにもならないと気づき始めた。給料は不十分でもちゃんとした目標を持ったNGOで働きたいという人は今後増えるだろう。

 われわれの世代は革命理論・権力理論でふりまわされたが、これからはそうではなくなるだろう。かつては公害問題など権力を掌握すれば解決するとしたが、東ヨーロッパの惨状はどうだ。大気汚染で10m先さえ見えない。我々はそもそも権力を持たないのだ。権力を持たない人間が権力を持つ人間にものを言うには、相手よりも一桁、二桁上の倫理性を持たなければならないだろう。ただ、東大生の落とし穴は権力を持とうと思えば持てるという幻想があることだ。




Question

 専門馬鹿に陥らないために、今自分がどこにいるのか知るには教養が大切だ。教養学部のある東大を卒業した人が専門馬鹿にはなっていないか。


Answer

 相対的には東大は専門馬鹿ではないと思う。教養学部が残ったからだ。教養と専門が綱を引き合えば大学内では専門が勝つに決まっている。そういう力関係なのだ。大学教育の大綱化において一般教養は意味がないから、社会にとっては教養課程は意味がないとされていた。しかし、今考えてみるとそれはばかばかしいことだ。これは、当時ちょっと落ち着いて考えればわかったはずだ。今考えてみれば、ということが多すぎる。諸君は冷静に、教養を持って、落ち着いて歴史をにらんで考えてほしい。それがまさに教養の中心ではないかと思う。
 教養としては、アジアの歴史がだいたいわかっていればいい。それすら高校で教えようとしないのが、今の学校教育である。日本は鎖国していたために、17−19世紀のアジアについてはほとんど知らない。アジアの人たちはそれは敏感です。学会で、「おまえ日本からきただろ」と目つきが厳しくなる人がいる。そこで「沖縄に住んでいる」というと、ふっと空気が和らぐ。彼らは、琉球王国という別の国があったことや、第二次大戦で沖縄が大変な目にあったことを知っていて、いわば親近感を持てるからだ。
 その意味で、沖縄でなければできない研究がある。アジアの人と一緒に力を合わせて何かをやる時に、相手が敵意を持たないことが条件になる。その一つの例が遺伝子バンクだ。遺伝子バンクは巨大な冷蔵庫だから数百億の投資となり、ある程度の雇用を創出できる。同じ投資でダムを造るよりはずっと雇用を創り出せる。沖縄では計画的に政策をおこなう習慣がない。補助金の大きいものからやっていく習慣がある。しかし、それでは持続的に食べていけないと最近気づき始めている。典型的なのが、沖縄市が計画している泡瀬という干潟だ。そこを埋め立てる計画だが、埋め立てた場所に何をつくるかは埋め立ててから考えるという。
 新石垣空港のことも、同じようなことになっている。僕ら「沖縄環境ネットワーク」という小さなNGOが、東工大の原科教授をまじえて環境アセスメントの勉強会をした。複数の提案を、工事しないという代案を含めて検討するべきだとした。「法律も変わったことだし一緒に勉強しませんか。」と県庁に出したところ、「新石垣空港については今後も住民の意見を聴くことを考えているので、勉強会に行く必要はない。」という返事がきた。役人は誰も来なかった。勉強をした結果をふまえて県に公文を送ったところ、委員会がもめてしまった。時間ばかり食ってしまい、計画はあっちこっち迷走して進まない。

 あなたたちの世代は、僕たちに対して「あなたたちのせいでこんな時代になっているんだ」といえる世代。年寄りも考えてくれといえる世代。若い世代はどんどん発言すべき。そこで、いまの学力が落ちた高校生でもわかる環境科学の教科書をつくることをすすめる。みんながマイナスだと考えるところで、プラスだと思う。できるかできないかは、自分がどう考えるかだ。

 僕が水俣病にとりつかれたのだって、加害者という認識と、この問題を見逃していいのかという気持ちからである。第二水俣病・新潟水俣病が出てしまったのは、負けだと感じだ。しかも裁判をして気づいたのだけど、昭和電工は佐藤栄作と縁組している。皇太子妃一家とも縁組している。日本エリート階級そのものであった。えらいものにぶつかったと思った。判決では勝ったが、「どうみたってこれは対等ではない」という論をぶつけた。水俣病にもチッソと皇太子家との結びつきがあった。水俣病というのは、どれくらい日本の、(乱暴ではあるが)支配階級にむすびついているのか。
 水俣病にも良かった点はある。患者や市民の運動である。それは、市民の生活に余裕ができたからでもある。集団で被害を受けてそれを救済しようとする運動としては、原爆も森永ヒ素もだめだった。水俣病も一度目はだめだった。二回目になり、初めて市民運動ができた。それは成果として考えて良いだろう。
 日本は国際的に見ると、なんたる野蛮国だと思われる。ウォルフレンが書いたことだが、日本は表向きは民主主義だが中はめちゃくちゃだというのは当たっている。しかし、「おれが生きている程度には日本は民主化された。戦前の日本だったらとっくに殺されていた。」と思う。ところが、戦前の日本を目標にした国がある。北朝鮮です。北朝鮮の幹部は堂々とそう言っている。戦前の日本は、世界に孤立してやけくそで戦争をはじめてしまった。アジアはそういう情勢の中にあるということも、教養の一つとして身につけておいて欲しい。



宇井純
Question

 科学的にみれば客観的な事実は存在するかもしれないが、社会的にみればどうなのか。
 原田先生がおっしゃっていたのだけれども、水俣には階層があってという事実も踏まえなければならないのではないか?


Answer

 それはそのとおりである。社会科学の対象である。水俣病の研究は、政治学の人が誰もやらずに、なんで工学部の助手がやったのだという石田雄先生の反省を込めた意見もあった。

 公害と地球環境のつながりに関しては、局地的な公害が重なりあって地球全体に影響が出てきたという飯島さんの話に賛成だ。石弘之さんと那覇の空港ですれ違った時、「宇井さん、なんでこんな所にぐずぐずしているんですか。このごろ黙っているようですね。」「黙っているわけじゃない。こちらは地元の問題が山ほどあるんだ。」といった時も、「公害って言うのはやはり地球環境に広がったじゃないですか。それをどうしてもっと強調しないんですか。」といわれたことがある。この3人の意見が合えば、だいたい信用できるのではないか。そこから先は社会科学の問題だ。
 日本の場合には、公害と地球環境は違いますということを強調することによって環境庁は生き延びたし、それを教えられてきた諸君が信じてしまうのも無理はない。が、その考えは一度払って欲しい。

 沖縄では、高校まで世の中はおまえの力で変わるものではないということを叩き込まれる。おかしいと思ってもどうせ変わらないから。大学にはいって、初めて社会科学を勉強して世の中は変わることもあるといっても、地方の大学ではなかなか受け入れられない。



Question

 教科書をつくる意義とは?作るほうのためなのか、読む人のためなのか?また他のためなのか?


Answer

 両方のため。作ることによってみなさんが勉強になることは多いだろう。ただ、いろいろな環境科学の本はあるがテクニカルなものばかりで、それらの関係や全体の中でどこにいるのかはわからない。それを整理したら良いのではと思う。



Question

 個人の心持ちの面で、先生のような偉大な人ばかりではない。何かをやりたいけど、寂しかったり、一人ぼっちになりたくなかったりしてできない人は多いと思うのだが、先生のように一歩を踏み出せる人を増やすためにはどうすればいいのか?


Answer

 そんなえらいものではないんです。水俣に出会わなければ生きていたかどうかわからない。水俣に出会うことで生かしてもらった。水俣病を何とかしようと思ってきたが、恩返しはしきれていない。今でも水俣関連で「もちょっとやってよ。」とつつかれる。沖縄にいると、目先のことが多すぎてそれらに追われてしまう。水俣病については借りが多くて、申し訳ない気持ちが先にたってしまう。それでも40年もやっていれば、水俣病についてはだいぶ詳しくなる。
 この秋、環境省主催の水銀の国際会議が水俣で開かれる。今は世界中、劇症ではなくて弱い症状についての研究が中心である。井形昭弘(東大卒:水俣病をひどくしたほうの人)が水俣病について発表する。僕は、なんとかポスターセッションをして抵抗してやろうと考えている。そんなものだ。外から見て上手くいっているようでも、そうそう上手くはいっていない。



Question

 環境教育の上で、いろいろな専門分野の相互作用を理解・整理するための手法や指針はどういうものなのか?


Answer

 それは、川本輝夫さんがいったことです。彼は若い学生に、「そういう自分の視点が持てないなら学校なんか辞めてしまえ。」といった。彼は、自分の視点を持ってもらいたいといいたかったのだ。彼は、自分は漁師なので教育も受けていないし座り込みを続けるので精一杯だ。おれに変わって考えてくれる人が欲しい。といったのだ。
 僕は、わからないから現場へいって考えた。弁護士と議論をするから、最低限の勉強をした。わたしの場合は現場で全部学んだ。民事訴訟法など。新潟水俣病弁護団は最強の弁護団だったと思う。激しい議論をしていく中で身につけたため、ウェイトをどこにおくかは考えなかった。どのように勉強するかの組み合わせを考えていたらずいぶん悩んだだろうが、初めから組み合わせは一つしかなかった。現場で考える。または患者の立場で考えるという基準だ。
 みなさんには、自分の立場を全面的に投入できるような場面が見つからないという苦労はあるだろう。それは想像力の問題だと思う。自分の子供の立場だったら、どうしたらいいか。創造力と想像力が衰えているのは事実かもしれない。高校までは教科書がすべて正しいという教育を受けてきたから、大学に入ってくると社会科学的な思考ができない。例えば、もし氷が水に沈んだらどうなりますか?その中で生命が進化するのは無理でしょう。「もし○○だったら」で少しずつ置き換えて想像することが、環境科学では不可欠。これをやれば、孫の代に一人か二人救われるものかもしれない。
 公害問題というのは日本が世界で一番早かったのだから、手本が無い。どんなに非力でも自分で考えなければならないのです。世界中が日本に向かってもう物をつくらないでくれと言っている。あなたたちの経験を生かしてくださいといっているのに、日本は何もしていない。われわれ日本人は一所懸命働いて、税金払って、その金をODAでばらまいて恨まれる、そういう構造である。いまこそ必要なのは、教養であろう。それは大部分環境科学につながっているだろう。いま高校の現場に行けば、総合的なものの中で環境をやらなければならないとしているが、ゴミの分別やどぶさらいぐらいしかやることがない状況である。日本の教育は本当に難しくなっている。
 ぼくらは依然として、ものをつくることしかできない。幸いわたしの仕事は尻拭い、下水処理ですから。最低100日データを取らなければならないから、誰もやらない。おかげで最先端の研究ができる。



宇井先生講義「駒場の学生にできること」
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