イタイイタイ病において、カドミウムであるかどうかという論争があった。病気の原因を調べようとして、最初はリウマチに詳しい先生が知っているのではないかと言うことで聞いてみたが、うまくいかなかった。そこに吉岡さんという農学者がきて「あ、これは鉱山だ」と言うことをいった。この人は鉱物についての詳しい知識を持っている人だった。言われてみればカドミウムは、私達にとっては毎日触るようなありふれた物質だった。
イタイイタイ病も水俣病に関しても一番つらい時期を乗り越えたお金は、アメリカからもらっている。日本の科学政策を思うと大変恥ずかしい話である。私と原田正純さんは、水俣病の研究費を国からはもらっていない。もちろん、申請しない私も悪いですが。しかし水俣病の患者をみると、研究費はどうしてももらえなかったので申請ができなかった。それが、日本の科学政策なのです。
これから環境科学というのは、東大の教養の中で半分ぐらいを占める位置になるのではないかということを思っている。科学の総合化により文系の人にはますますわかりにくくなっているが、環境の面から整理するとかなりわかりやすくなるのではないかと思う。環境というキーワードで統合するのも可能だろう。
「蝶はなぜきれいなのか」ということを問題意識に持って、生物科に入ってきた人がいた。しかしその人は東大教授から「蝶がなぜきれいかなんて調べる必要は無い」といわれて東大には入れなかった。しかし、自然が何故きれいなのかと言うことは建築などをやる人間も哲学をする人間も考えないといけない問題だし、環境問題での景観の問題にもつながる根本的な問いなのではないか。
沖縄の畜産排水処理を見に来た、平仲君というウェルター級の世界チャンピォンがいる。彼に「世界チャンピォンというのは、どれくらい見込みがあれば挑戦するのか」と聞くと、「2割か3割です。」という答えが返ってきた。僕らは5割以上の成功の見込みがないと実験を始めない。普通だと7,8割だ。やれば必ず当たることばかりやる。2割、3割ぐらいの成功率で実験をするのは度胸がいる。もしやって失敗したら、傷つき満身創痍になってしまうでしょう。しかし失敗して体験したことの積み重ねとして、私の60年間の実験の実力はできてきた。結論としては私達日本の科学者は度胸が無いということです。平仲君みたいなボクシングで世界トップをとるような人には、すごい度胸がある。
公害の世界を考える時に、皆さんがこれからどういう企画を立てるかですが、関西グループの頂点としての宮本憲一さん、関東グループでは都立大の飯島伸子さんの話はぜひ聞くといいと思います。彼女は日本で一番詳しい公害の歴史の年表を作りました。
80年代になって、自民党の中で「環境庁なんてうるさいのはつぶせ」という声がでてきたことがありました。それを、「地球環境問題というものがあります。これはゴビ砂漠を緑化するなど巨大な事業になります」と、誰かが竹下登と橋本龍太郎に知恵をつけた。そして、環境庁は生き残り、橋本龍太郎がこれを省に格上げしたのです。彼らのイメージは、ゴビ砂漠の緑化などの巨大工事です。日本の公害問題は全く別の問題だとすることにより環境庁は生き延びた。
皆さんが受けてきた教育について僕は調べたことがあります。中学高校の教科書に環境問題がどう書かれているかです。政府や自治体はちゃんとやっていると書いている教科書には、四大公害訴訟の例えば水俣病はチッソが起こしたこと、社名が書いてある。また他の教科書には会社の名前は伏せてあった。おそらく編集者との間に「こっちは譲歩して削るからこっちは書かせてくれ」という綱引きがあったのだろう。また、1975年には日本の公害対策の設備投資は1千億にもなるとあった。確かにその年は突出して高かった。しかしその前後では半分以下くらいだった。高いところだけを挙げて、「日本はこのくらい金をかけている」というのを強調している。これは嘘ではない。しかし本当でもない。皆さんが受けてきた教育と言うものはそういうものです。嘘ではないが本当ではない。そのようなことは教科書を並べてみてわかったことなのですが。
こういう経験から日本での地球環境の議論は、私は半分くらいしか信用しないことにしています。
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