各回の報告第四回報告
第四回報告(必修文献)北畠能房「水俣病事件から学ぶ先制的予防原理の意義」
有福孝岳編著『環境としての自然・社会・文化』(1997)
京都大学学術出版会,pp.103-144
【必読の部分は pp.103-110。】
(参考文献)上記のpp.110以降
)`Science and the Precautionary Principle'
Kenneth R. Foster et al., "Science", 2000, Vol.288, pp.979-981
向江報告分予防原則発生の経緯(レジュメより抜粋)
1969年 連立内閣がドイツ環境政策の5原則を成立させる 1986年 西独政府が「Vorsorge(予防)のための指針」を決定する
連邦政府のとる環境政策は、1つの広範な考え方であるVorsorgeに
基礎をおくものである。政治的行動のための1つの原理として、環
境面のVorsorgeは以下の3つに奉仕するすべての活動からなる。 予防原則によってもたらされた新たな概念予防原則によってもたらされた新たな概念は2つあって、 (1)機先を制して防止する −「自然の諸過程の働きを理解すべく発展させられてきた科学的 アプローチが、大きな不幸や位相変化の起こる閾値などを同定す るのに不向き」かつ「問題への対応行動を遅らせることは、究極 的に社会と自然に対して(の被害が)非常に高くつく」から、科 学的因果関係が明確でない場合にも予防的に問題に対処すること が必要になる場合があるということ− (2)変化を提唱するものが挙証責任をおう −以前は、変化(開発プロジェクトや新技術の導入)に対して 悪影響が定性的に予測される場合にのみ、改善策や保全対策が提 案されていた、つまり証明されるものは「悪影響」だったが、予 防原則に則ると「悪影響を生じ得ないこと」を「変化(開発など )を提唱する側」が証明しなければならない、つまり証明される ものは「安全性」である。その結果損害が生じた場合には「変化 を提唱するもの」が厳格責任を有する、ということー である。 またこれと関連して「何が『変化』なのか。それによっては開 発、あるいは環境保全さえもできなくなる。また『何もしないこ と』も『変化』となりうるし、政治的な態度にもなりうる。」と いう議論が行われた。 予防原則はいろいろな解釈が可能予防原則は理念の部分では論争はあまり起きない。しかしそれ を具体的な問題にどのように適用させるか、という議論になると いろいろな対立が生じる。それは予防原則はいろいろな解釈が可 能というところから生じている。 たとえば、強く予防原則を適用するのならば、変化を提唱
する側が安全性を証明しなければならないが、完全な安全性(ゼ
ロリスク)を証明するのは不可能なので、結局「何もできない」
という結論に至ってしまう。 これに対してフォスター等の論文で「Guidelines for Application
of the Precautionary Principle」が書いてあり、その内容は 無過失責任は予防するインセンティブをそぐ 全ての変化は同等に扱われるのか。もし故意も過失も同等に扱われ
るのなら、開発側は自分達の開発に対する予防をするインセンティブ
をそがれてしまう可能性がある。 同じ問題についても、誰に挙証責任があるかによって結果が変わるある問題の科学的な不確実さが高い場合、「開発側」と「保全側」 どちらが挙証責任を負うかによって結果が変わる場合がある。 例: ある化学物質について「保全側」に挙証責任があり、その化
学物質についての科学的不確実性が高い場合は、「保全側」は完全に
はその物質の「危険性」を証明できないので否定されてしまう。結果
「開発側」が肯定されてしまう。 各回の報告第四回報告
|