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講師 大学院総合文化研究科国際社会科学 石 弘之 | |||
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● 1 東ヨーロッパの環境〜環境問題と生活様式 | |||
● 2 コモンズの私有化 | |||
● 3 環境問題の現場 | |||
● 4 進歩とは?---新しい倫理 | |||
● 5 講義後のフロアからの質問 | |||
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1.1 共産圏の環境問題
私は1989年から10年ぐらいの間、東ヨーロッパの環境問題を調べていた。当時、環境問題は資本主義の悪しき副産物であると言われていた。国際社会の中では東ヨーロッパ、ソ連はユートピアだと考えられていた。 1989年に鉄のカーテンが崩れ、自由に東ヨーロッパに行き来できるようになった。東欧には予想もできない程の汚染が存在した。環境問題に関しては、社会主義政権はユートピアではなかった。競争がない社会の中で設備は更新されず、国家公務員は国のノルマだけをこなし、余計な公害対策などは、なおざりだった。また国営企業の行うことに庶民は文句を言うことができなかった。ポーランドでは環境汚染のために平均寿命までもが低下していた。水俣では、400tの有機水銀が水俣湾に蓄積されたというが、ハンガリーの工業地帯では700tもの水銀が流されたのだった。様子を見たブッシュ米大統領は東欧の環境について「国際社会が東欧の環境を救済すべきだ」と語った。 これを受け、アメリカ、EU、日本はブタペストに東ヨーロッパ環境機関を設立した。最近環境は改善されてきた。改善の理由の一つは、東欧の、汚染物質を大量に排出する工場が、西側の工場に競争に負け、閉鎖されてしまったことである。 1.2 新しいゴミ公害 凄まじい投資の中で東欧では今まで経験したことがなかった種類の環境問題が浮上してきている。一番大きいのはゴミ問題である。社会主義国家は物がないため、ゴミが少なく、リサイクルは徹底されていた。ところがこの10年で西側の消費文化が流入し、あちこちにスーパーマーケットが建設された。そこでは過剰包装が行われ、大量のゴミが出るようになった。長年ゴミの出ない生活を送ってきたため、突然の多量のゴミに対処できず、旧社会主義圏はゴミ公害に悩まされている。 以上から、環境というのは我々の生活様式、文化の所産であるといえる。昭和30年代は日本でも物がなく、「もったいない」という言葉をよく聞いたものである。そこには何でも使い回しをする文化があった。昭和40年代以降の高度経済成長によって、物を再利用するより新しい物を購入した方が安いという歪んだ経済が出現した。どんどん新しい物を買うことにより、経済がこまネズミのように回転していく、こういった生活に我々は落としこまれたのだ。これはゴミ問題や二酸化炭素の急激な増加につながっている。環境を考える際には、汚染物質などを考えることだけでなく、私達の生活や価値観に深く根差したものも考慮しなければならない。 | |||
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2.1 コモンズの悲劇
1968年にG.ハーディンは「コモンズの悲劇」を著わした。コモンズ commons とは共有地や入会地のことである。これには批判も多いが、内容を紹介しよう。ある牧場に牛飼いがいて、牛を飼っていた。牧草の生えている量と牛の食べる量は釣り合っていた。ある牛飼いが牛2頭を飼っていた。新たな収入を得るためその人は3頭目を牧場に放した。1頭増えたことにより、最初からいた牛の食べられる牧草は減ってしまうが、1頭増やした人は得することになる。すると最初の牛飼いの行動を見ていた隣の家の牛飼いも1頭増やし、それを見た隣も増やし、と連鎖的に増えていく。1頭目の次は2頭目とまた牛が増え、牧場の草がなくなるまで牛が増えていく。もともとは一定の牧草を一定の牛が食べる状態であったが、一件の酪農家が牛を増やしたために結果として牛が牧草を食べ尽くしてしまうことになる。これを「共有地の悲劇」と呼ぶ。これは様々な事柄に適用される。 海洋問題は典型的な「共有地の悲劇」の例である。コモンズである漁業資源を巡って各国が漁獲を争ったため、世界中至るところで漁業資源がひどい状況になっている。日本近海からアジアにかけては悲劇的状況である。東シナ海はかつて日本の漁獲の4割を提供したが、今では1匹も猟ることができない。タイのシャム湾も昔は非常に豊かであったが、今では資源は枯渇してしまい、ビルマなどから輸入して、魚の価格が高騰している。昔は魚も安く、そのために寿司も安く食べられた。最近はどんどん魚が高騰している。東南アジアでは魚が猟りにくくなったため、網を用いた漁ではなく、ダイナマイト漁(ダイナマイトの衝撃波で魚の浮袋に衝撃を与え、水面に浮かび上がらせる)や青酸カリ漁(青酸カリを撒き、大きな魚を麻痺させ、水面に浮かび上がらせる)などが流行している。日本に輸入される伊勢エビやナポレオン・フィッシュなどは青酸カリ漁で猟られている。ここでサンゴ礁が悲劇に出会っている。サンゴ礁は海の中の熱帯林というべき役割を果たしていて、豊かな生態系を育んでいるのだが、サンゴ礁の方が魚より100倍青酸カリに弱く、東南アジアの海域では史上空前のサンゴ礁の破壊が進行しているのである。 実は、20世紀後半の歴史は共有地がなくなっていく歴史である。海については、国連の新しい条約の海洋法が締約され、沿岸200カイリ(360km)を自国のものとする制度ができた。事の真実は、日本とロシアの漁船が世界中でむやみに漁獲をしていたために、世界中が囲い込みを行ったということだ。 大気汚染もまた「共有地の悲劇」の例である。酸性雨には困った特徴がある。排出源から離れれば離れるほど化学反応が進み、酸性が強くなるのだ。ヨーロッパでは1960、70年代、イギリスやドイツから排出された大気汚染物質が季節風によってスウェーデン、ノルウェーなどの北欧諸国にたどり着き、凄まじい酸性物質となって降り注ぎ、森林が枯れ、湖から魚が消えた。その後ヨーロッパ諸国は「越境大気汚染防止条約」を作り、空を共有地から一種の私有地に変えた。 日本には季節風に乗って大陸から酸性雨がやってくる。日本に降る硫酸の6割から7割が中国起源であり、最近日本海側の木が枯れているのは、中国からの酸性雨が原因と言う人もいる。アジアでも大気を国有化、私有化しようという動きが始まりつつあるのだ。 19世紀の最後の四半世紀は凄まじい植民地分割の時代だった。20世紀の最後の四半世紀は「環境資源」(環境を一つの資源と見る)の分割競争の時代といえる。この傾向はますます進んでいくだろう。そしてこれは条約の締約という形をとるだろう。例えばフロンガスによるオゾン層破壊抑制の仕組み作りのためにウィーン条約やモントリオール議定書がある。地球温暖化防止のための、気候変動枠組み条約もある。 21世紀は環境の高度管理が重要になる。管理なしでは増加する人口によって環境が食い潰されてしまう。コモンズが食い潰されていってしまう。高度な管理が必要なのだ。 2.3 公害と環境問題 私も環境問題を始めて40年近くなるが、最初は公害が問題であった。ある汚染物質によって人が被害を受けるという図式である。しかし、今から考えると、公害は環境問題ではなく、単なる企業犯罪ではないかと思う。水俣病はチッソという会社の引き起こした問題ではないか。チッソは水俣市のGNPの7割以上を稼いだ巨大な会社であった。公害問題とはあるコミュニティーを牛耳る巨大企業が甘えて利潤の追求のために汚染物質を撒き散らし、コモンズを浪費してしまったことによって起きた問題ではないだろうか。 | |||
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3.1 マレーシア
マレーシアには大陸側・半島側と島側がある。島の名前はボルネオ島である。ボルネオ島の本来の自然、熱帯林はすばらしいものである。ところが、現在凄まじい勢いで火災が起きている。9月から始まって一度収まったがこの2月からまたひどくなった。煙害がひどい。 現地は昼間でも暗い。今でも場所によっては火災の煙で昼間でも暗くなるのである。例年は8月、9月の雨期には雨が降って火災が収まるのだが、去年はエルニーニョのために雨が降らなかったために、悲惨であった。ボルネオ島の南のサラワク州では町行く人はみなマスクをしている。火災の原因は焼き畑とプランテーションを作るための火付けである。 焼いた後にはオイル・パーム(油やし)のプランテーションができる。オイル・パームからは上質の油が取れ、これが現在国際的に高値で取引されている。理由は、日本人が大量に買うようになったことである。最近台所洗剤の原料が石油から植物油に変ってきている。石油系合成洗剤は汚れがよく落ちるのだが、環境には悪い。私も新聞記者のときずいぶん洗剤業界と戦ったものだ。洗剤業界は対策として植物油(やし油など)を使い始めた。最近は中国も輸入の巨大マーケットとして成長したので拍車がかかっている。中国人はやし油を食用油として中華料理に使う。 3.2 タイ 昔は中西部から北部にかけて森林が茂っていたが、今年の4月に見たときは、山の中までトウモロコシ畑があった。20年前ぐらいは狩猟が生業の中心であった。私が以前行ったときは森林が残っていたが、最近は電化製品が浸透し、消費生活が向上したため、商品作物のトウモロコシ(ニワトリ・ブタの飼料になる)を作るようになった。 カレン族(ビルマに多く、タイにもいる)の村には、高床式の家がある。中に入ると驚いたことに冷蔵庫やカラーテレビがある。これを買うためには現金が必要なので、商品作物を作らなくてはならないのだ。やはりこれも日本が輸入する。そしてどんどん自然が改変されていく。 3.3 インドネシア インドネシアのジャワ島に世界遺産に指定されている公園がある。この中に茶畑がある。ジャワ島の中部であるが、ジャワ・ティーを作っている。「JAVA TEA」の原料は世界のこのような場所で作られているのだ。そしてこれまた日本に輸出される。この例のようにアジアの山の中と日本もいろいろな形でつながっている。 私がよく言うことだが、我々が環境を考えることには想像力 imagination が必要である。10年ほど前、ニューヨークの大きなハンバーガーショップの前で汚い男の人達が座っていて、プラカードを掲げていた。「ハンバーガーを食べることは熱帯林を食べることだ」と。私達は熱帯林とつながっている。 3.4 コスタリカ 中米のコスタリカは国土の40%は国立公園という、自然を大事にした国造りをしている。世界で唯一憲法で軍隊を禁止した国である。日本と違い、コスタリカには本当に軍隊がなく、警察力しかない。ノーベル平和賞を受賞するというユニークな国造りを行っている。ここには中南米で最も豊かな自然が広がっていた。 ところが今では山があちこち禿げている。禿げているところには牛の放牧地が広がっている。アメリカ国内では巨大なハンバーガチェーンが1セントでも安くするためにしのぎを削って競争している。安い牛肉を手に入れるために、アメリカ国内で作っていては高くなってしまうので、アメリカに近い中南米の熱帯林を焼き払って牧場を作る。ハンバーガチェーンの競争が激しくなればなるほど中南米では熱帯林が焼かれて牛の放牧地が広がっていった。日本人も最近牛肉をよく食べるようになった。私達はこの膨大な肉はどこから来たか考える必要がある。ハンバーガーを食べることは実は熱帯林を食べることなのかもしれない。 3.5 アマゾン アマゾン最奥の地であるロンドニアは世界で最後まで熱帯林が残ると言われた、まったく未開の土地であったが、過去20年間で森林が8割減少した。ゴールド・ラッシュではなく、グリーン・ラッシュと言われるくらいめちゃくちゃに森林が伐採された。私はここに1984年の1年間インディオ達と一緒に暮らしていた。あなた達は人跡未踏のすばらしい自然と思うかもしれないが、実際はそうではない。高価に売れる木材である、シタン、コクタンなどの大変緻密な真っ黒な熱帯の木材は抜き切りされて残っていない。川にぽんと放り込んで下流でそれを拾って日本に持ってくる。そして仏壇や高級家具になる。世界には人跡未踏、人間の手のかかっていない自然は全くなくなったといえるだろう。最後の地はアマゾンと西アフリカのコンゴ、コンゴ川の上流地域だろうが、人手の加わっていないところはもうないだろう。あなた達(=学生)の世代は私達(=石先生の世代)が世界中の探索をしたために世界の秘境が全く経験できない世代なのだ。 アマゾンでは熱帯林が盛大に焼かれている。去年(1997年)は北海道以上の面積が焼けてしまった。去年は世界的に凄まじい森林火災が起きた年である。WWF(世界自然保護基金)のレポートによると去年は「地球が燃えた年」であるという。その理由は焼畑のための火付け、エルニーニョによる乾燥による拡大などの要因が重なったためだ。アマゾンでも凄まじい被害が出た。上空から見ると、ひどいときは、東京都の面積より広い森林が焼かれてしまったのが見える。この火災により、森林の奥に住んでいたインディオ達は追い出された。 彼らの追われた土地は大豆畑になっている。アマゾンでは大豆畑が猛烈な勢いで拡大している。20年前生産量は0であったのが、今では世界最大の生産地になった。大豆の殆どはその絞り粕を日本に飼料として輸出される。ブラジルには日系人が多く、彼らが中心となり大豆を作っている。 3.6 駆逐されるインディオ このようにジャングルに住んでいる人達は開拓によって追い出されて、苦境に追いやられている。アマゾンの土地はもともと国有地で、開発した人に土地の権利が与えられることになっていた。開発によってインディオ達が圧迫されることが分かって、10数年前に法律を作って、インディオが住んでいる土地は開発できないことになった。すると、インディオをいなくさせるために、インディオの集団殺戮が始まった。例えばサンパウロやリオ・デジャネイロの麻疹の子供の毛布を買い集めて空から撒いたり(インディオには麻疹などに対する免疫が全くないため、簡単にひどい被害に遭う)、子供が好みそうなお菓子に毒を仕込んで撒いたり、空から機銃掃射をしたり、ひどいところだとイタリアの旅行会社のように「あなたも人を撃ってみませんか」と呼びかけて人を撃って歩かせたりした。これはわずか20年前、1970年代のことである。インディオの方は、これに対抗する術もなかった。追いやられたインディオの若い女性の殆どは、売春婦をしている。男達は門番や、大きな畑の使用人などの仕事をしている。社会学ではインフォーマル・セクター informal sector などと呼ぶが、そんな生やさしいものではない。 インディオの自殺率は凄まじい。私が住んでいた村の人口は2000人ぐらいだが、1985年から1991,1992年までの期間で140〜150人が自殺している。殆どが若者で、自殺者の平均年齢は13才から15才ぐらいである。詳しくは自著「インディオ居留地」(朝日選書)を読んでいただきたい。 カナダのラブラドル地方(インディオで有名な地方。東海岸の北の方)にあるインディアンの村は600人の村だが、1/4が自殺した。シベリア、リチクチの先住民の自殺率は、一般のロシア人の自殺率と比べて数100倍高いだろう。オーストラリアのアボリジニの自殺率も他のオーストラリア人と比べて100倍ぐらい高い。日本でも北海道のアイヌ人の自殺率が高い。統計はないが、他の日本人と比べて何倍も高いだろうと言われている。先住民の自殺率の高さは絶望を表しているのだろう。 アルコール中毒もひどい。先住民社会には例外なくアルコール中毒がある。純粋無垢で、勇敢なアフリカのトゥワ族(ピグミー族)もバナナ酒によってアルコール中毒に脅かされている。彼らは土地を追われ、乞食同様の生活を強いられている。 | |||
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4.1 進歩とコモンズ
話をコモンズの悲劇に戻そう。私達は常により良い生活を期待している。より大きなカラーテレビ、春闘におけるベア獲得、排気量の大きい車。私達には進歩があった。物質的な進歩である。人間にとって進歩とはある意味、楽をすることである。今まではテレビのチャンネルを変えるにもテレビのつまみで行わなければならなかったのが現在ではリモコンで可能である。私達にとって「手間暇を省くこと」や少しでも多くの物を集めることが大きな進歩だった。だが、物質的な進歩、消費の拡大は必ずどこかで環境へ負荷を与える。エアコンを使えば一年間で数百kgの二酸化炭素を出す。車に乗ればNOx、二酸化炭素、SOxを出す。私達の進歩は正しかったのだろうか。 私達の進歩思想は、地球が無限である限り正しい。しかし、地球はコモンズであり、有限だ。私達はこれ以上進歩できるのか。進歩は必要なのか。また、発展途上国の人々のように進歩を必要としている人々に進歩を譲る必要があるのではないか。今これらの道徳的な問いかけが21世紀に向けて重要になっている。が、答えることは非常に難しい。 4.2 物質的進歩 人類は精神的というより、むしろ物質的に発展してきた。今までは一番簡単な発展とはより良い物を集めることである。人より良いものを着て、人よりおいしいものを食べることだ。しかしそれは果たして進歩だったろうか?従来の進歩はいかに生物学的制約を克服するかが問題だった。昭和20年代初めまでは日本でも現在のアフリカのように7,8人の子供を産んで、2,3人が生き残る状況だった。生まれてくるものを育てたい、生きたいというのは人間の本能である。出産では産婦人科にかかるし、心臓移植ができると聞けば1千万円払ってアメリカに行く。みんなが本能を満足させると人口はどんどん増加してしまう。世界人口は来年で(1999年)60億人に達しようとしている。私が君達ぐらいであったとき世界人口は30億人であった。今世紀の最初から最後にかけて世界人口は約4倍に、エネルギー消費量は約20倍になった。一人当たりのエネルギーが20倍になったことで豊かな生活が保障されるようになった。医学・薬学は発展し、医療は発達した。農業生産は拡大して、世界の多くの地域で飢餓が解消されてきた。「多産多死・弱肉強食」といった生物学的制約を私達は人道主義と称して克服してきた。その結果、人口は増加するいっぽうである。進歩の代償として人口増加の内在的抑制が必要だったのである。 最近「チャタレー夫人の恋人」という本を新約が出たので読み直した。猥褻シーンがあるために最高裁まで争って、翻訳者が有罪になった本である。背景がイギリスの石炭産業の勃興期であり、非常に面白い。しかし、よく読むとぜんぜん猥褻ではなく、現代の本の方が断然猥褻である。わずか30数年で猥褻とは何かという定義が変わってしまった。生殖・セックスを巡る考え方ががらりと変わってしまった。 江戸時代には「始末」という言葉が生きていた。「始末が悪い」「始末をつける」などと言うが、これは初めと終わりを意味する。江戸時代のリサイクル文化の精神を端的に表すものである。自分で使うものは最後まで自分で処理することである。「分をわきまえる」とは自分の身に合った生活をしなさいという意味である。余分な二酸化炭素を出さないなど、等身大の生活をすることの大切さを表している。こういった考え方は日本の一つの精神文化であり、一つの封建文化といえるが、この20,30年間でこういった文化が急速に失われてきた。時々教室でも帽子をかぶっている学生がいるが、帽子を取るように言うと「なぜ取らなければいけないのか、私はあなたに迷惑をかけていない」と反論される。若い女子学生に対して援助交際はいけない、売春であると説くと、コンビニでアルバイトするのとどう違うのだ、と反論される。彼らに対して論理的に反論するのは非常に難しい。私達の世代では当然の論理であったことが、今では社会常識でなくなってきた。この30年間で法律に触れない限り何をしてもいい時代になってきた。昔の抑制の論理は封建的な、一人一人を押さえつける論理であるが、現在の何でもありの論理は地球が何でも持続的に供給することを前提にしているのだ。 これからの世代はコモンズを分け、地球文明共同体の無限の発展を抑制するため、新しい倫理を打ち立てなければならない。そのタイムリミットは2020年であろう。あなたがたは40才前後になっている。そのころには何か大きなことが起きるだろう、と私は考えている。色々なデータを考慮すると2020年まではもたないことが予想される。世界人口は80億人になり、一人当たりの食料の量、エネルギー、水の量が不足する。それまでに地球を持続的に使用していく方法が確立されなければならないのだ。 | |||
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Q この授業ではないが、環境地球科学の講義で先生はフィリピンやインドネシアの環境保護運動家が殺されていることをおっしゃっていた。現在多くなってきているのか?
A 環境保護運動は20世紀の新しい運動である。人道主義に対する戦いはフランス革命以来行われている。人権・ 公民権に対する戦いは1960年代以降である。虐げられている人間の権利を取り戻す運動は過去200年様々な形で起こっている。現代においては多様化している。新聞を読んでも旧日本軍の従軍慰安婦の補償問題、被差別部落の問題に関する記事を見掛ける。環境保護運動も一つの人権闘争である。私達はより良い環境に住む権利がある。権利闘争はやはり犠牲を伴う。奴隷解放もしかり、公民権運動もしかりである。環境保護運動でも1980年ごろから1990年ごろまでの10年間でアマゾンだけで800人を超える人間が殺されている。多くはゴムの採集人である。焼畑によってゴムの木が焼き払われてしまうため、彼らは立ち上がったのであるが、中でも有名なのはがシコ・メンデスである。彼は映画でも取り上げられれ、彼に関する本は日本でも3冊ぐらい出ている。私はシコ・メンデスと同時に国連の環境賞をもらったので,授賞式で彼と出会うことができた。一日会っただけだが、普通のゴム採集人であった。彼は1991年、数十発の銃弾を受けて亡くなった。彼の守っていた森林を牧場にしようと企てていた一派が刺客を差し向けたのだった。最近では2年前、アルジェリアでシェル石油が特定の地域を乱開発し、水を汚染した。そこに住んでいた8人の住民が(ノーベル文学賞候補に挙がったンビアも中にいた。)環境保護に立ち上がった。しかし捕らえられて公開で絞首刑になった。世界には命をかけないと環境を守れない人がいる。タイでもよく殺されている。森林保護官が森林の密売人に殺されるのはタイでもインドネシアでもよくある。秋までには「地球環境保護運動史」が私の翻訳で岩波から出る予定なので参考にしてほしい。 Q 日本の農・林業はこれからどうなるか? A 日本の農業後継者は非常に少ない。日本の農業者の半分は60才以上である。10年後誰が畑を耕すか非常に問題である。日本の農産物の自給率は42%で、世界最低である。日本の農業は企業としては破産してしまう。林業は10年前に倒産している。人間生きていくためには農業・林業は必要であり、現在は世界中から輸入して調整している。しかしいつかは地球環境の悪化で輸入できなくなるときが来るだろう。国内の農業・林業をどうやって立て直すかが問題である。方法はあまりない。高齢者の農業は政府の補助金によって何とか持ちこたえている状態である。 結論を言おう。日本では戦前の大土地所有者の悪夢が残っている。一部のお金持ちが土地を買い占めてしまい、他の人は小作人であった。が、様々な方法から消去していくと、感情的には受け付けないが土地の集約化の方法しか残らないと私は考える。あるいは東南アジアから季節的に労働者を大量に雇い、終わったら帰っていただくという方法も有効かもしれない。いずれにしても日本の農林漁業は破綻するだろう。何らかの方法を取らないと2020年にはあなた達の食料は大変なことになるだろう。 |
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テーマ講義「環境の世紀 未来への布石V」 |