「ダイエットコーラ」という存在に、私は違和感をもちつづけている。 コーラは黒くて甘い世界一ポピュラーな炭酸飲料であるが、ダイエットコーラはアスパルテームや異性化糖といった甘味料を用いてそのカロリーをゼロにしたものである。そもそも普通に考えてカロリー摂取を抑制したいのならば、生存に不可欠というわけではないのだからコーラを飲むのを控えればよいのである。だが、やはり欲望ことに食欲は人の原動力のようである。かつては甘さとカロリー摂取は不可分のものであったが、科学的な知見を用いて快楽と背中合わせの危険を排除することに成功し、「カロリーはとりたくないが甘いコーラは飲みたい」欲望は達成されたのである。これらの甘味料は私達の食の可能性を増やし、現在では、カロリーのない甘味料は飲料やチョコレートなどのお菓子に使用され、広く社会に受け入れられたと考えられる。技術は問題の前提を覆し、枠組み自体を変化させることが可能である。ただ、その一方で技術的な改善だけでは問題の本質が解決しないことも多くの人が認めるところである。技術による可能性の拡大はむしろ欲望(食欲)のますますの開放に向かい、問題を先送りし、問題の本質を見誤らせることもあるのではないか。しかし、まだ私達が進んできた方向はモノや環境の技術的抜本変革(=ダイエットコーラ)への依存が強い気がしてならない。そして続くのはヒト自体の改造(=胃の切除と脳の知覚の 制御)なのかもしれないとさえ思う。ただ、カロリー表示のないオリジナルのコーラを見て、情報さえ与えられない状況よりはましかとも思う今日この頃であった。 [記事:三輪京子(6期)] |