竹内一翔さん(9期)による寄稿 駒場時代における三四郎活動の意義について

 駒場の2年間は専門に入る前の猶予期間(モラトリアム)である。この2年間を有意義に過ごすということは、個々人によってその「有意義」の意味が違えども、非常に難しいことだと思う。

 僕は、1年目は三四郎を中心に活動し、2年目はテーマ講義の共同責任者を務めさせていただきながら、学生自治会を中心に活動した。2年目、僕が三四郎での活動に熱を入れなかった、もしくは、入れることができなかったのは、今思うに1 年目に(自分なりに)気を遣いすぎてしまったことの反動だろう。もう少しラフな感覚で1年目を過ごせたら、2年目も他のメンバーとのギクシャクも無く、スムーズに過ごせたかもしれない。後悔の念が絶えない反面、その反動が偶然にも共鳴して自治会の仲間ができたことを思えば、それはそれで良かった、いろいろな人生観に触れることができて良かったと感じる。

 最近、「自分に駒場時代(教養課程)は本当に必要だったのだろうか?」ということをよく考える。単純な進路の問題として、そして、これから自分が拠所にしていくだろう人生哲学の構築期をいかに過ごすかという問題として。

 前者の問題に対しては、駒場時代は有効であったと概ね答えることができる。

 受験期の自分を思うと、将来は理学部の生物化学科か、物理学科へ進むことを想定していた。高校時代、純粋に分子生物学、構造生物学、そして自然現象を数理的に分析していく物理学に興味があったから、それは至極当然だった。

 しかし、大学に入って化学の授業が始まると、高校までの単なる反応形式を追うだけの表面的な化学とは一味違い、量子力学、統計熱力学に基盤を置いた「現代化学」が展開された。それ以来、化学という学問の捉え方が変わった。厳密に物質の変換のスキームを追っていく魅力的な分野としての化学が目の前に開けた。そして、漠然と化学を手法の中心に据える分野へ進みたいと思うようになった。

 一方で、駒場生の「総合科目」という特権を生かして、自分がかねてから進みたいと思っていた分野もたくさんかじった。そして、それぞれの分野の潮流を体感することができた。現代の分子生物学を眺めると、研究手法が「キット化」され過ぎてしまっており、証明するための手立てを考案することが研究者の腕の見せ所になっている。一方で、理論物理学は既に先端数学を駆使した半ば架空の世界に足を突っ込んでいる。どちらの雰囲気も、自分がやりたいサイエンスではなかった。そして、生体分子の動態について量子計算を取り入れながら、自分自身の手で試薬を合成したりしながら追究していきたいという意識を明確に持つことができた。

 こういった経緯を踏まえると、僕が進学先として薬学部を選んだのも教養課程があってのことである。それが将来的に良い選択であるか否かは別として、自分の選択肢をより広い世界で検証できたことは有効だった。

 では、後者の「人生哲学の構築期として、駒場時代は有効か?」という問いについてはどうだろうか。この問いは、むしろ僕自身に特異的だろう。2 0 歳前後を積極的に人生哲学を構築する時期として過ごすか否かは、人それぞれであるから。

 しかし、意識的であれ、無意識的であれ生きていくうえで自動的に従ってしまうような規範というものは誰しもが持っているものであると経験的に思う。そして、その規範に対して敏感であることは、他者と渡り合っていく上で非常に大切だろう。そう思うと、自分が生きていく上での規範を自分なりにしっかり組み立てていくことは無意味ではなく、むしろ、あれこれ考える時間を持つことができた僕にとっては急務であった。

 三四郎で経験したことで、今、僕が胸を張って宝だと言えるもの、それは、「意見の相違」だろう。個人として動く分には、自分の好みに従えばよいのだが、集団活動となると、全員のコンセンサスを得ながら遂行していかなくてはならないから、ひどく大変である。他者は自分とは違う価値観で動き、自分が良しとすることを必ずしも良しとはしない。自分も他者に対して同じである。学問に対する姿勢、時間感覚、責任感、仕事の量と質に対する評価、友達付き合い、…一から十まで人と自分は違うことが多いことに気付かされた。

 でも、それは自分にとって「宝」である。なぜなら、他者とのインタラクションを通して、実は一番観察していたのはこの己自身だからである。これは、最近気付いたことであるが、自分というものに生まれてこの方染み付いてきた価値基準みたいなものは、自分自身で到底気付くことができない、他者と衝突したりすることで初めて気が付くことができるのである。実際、テーマ講義を作っていく過程では、自分が「環境を分析する手法」や「問題解決のアプローチ」よりも、環境科学者のモチベーションそのものに興味があることが分かり、エコプロを通じて、自分はゴミを減らすことで達成感を感じるような人間ではない、例えば、ゴミが増えていく過程、もしくは、その社会が内包する価値観に自然と興味が沸く人間であることに気付いた。だから、その場その場は決して楽しくはなかったが、振り返ると「衝突」の中に「自分」像が浮かび上がってきたこと、そして、自分の「限界」が見えてきたことを実感している。

 「人生哲学を構築する」ところまでは辿り着けなかったが、多種多様な他者と積極的に触れ合うことでその度に立ち上がってくる自分のアイデンティティを見つめ、それが徐々に変化していく、決して一定ではないことを教えられた。アイデンティティが刻一刻と変わるのなら、人生哲学も固定的である必要はなく、むしろ、流動的なものであってよいのかもしれない。常に自分が縛られている内部規範、自発的な規範に対して目が開けている人間であることのほうが尊いのだろう。それぐらい、自由性を含んだ価値観をこれからの人生哲学に据えておくほうが賢明なのかもしれない。

 こう考えると、後者の問いに対して、有意義であったというよりも、自分はその時代を有意義にしたと答えるほうが妥当だろう。モラトリアムも、「権利」と同じで保障されていることに甘んじているばかりでなく積極的に活かさなくてはその価値を見出すことはできないのかもしれない。2 0 0 3 年度の2 年生には、衝突で起こる「すれ違い」よりも、そこに生起する自身の「アイデンティティ」を大事にしながら、活動を続けていって欲しい。

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