治山治水について・・・寛文6 年(1 6 6 6 年)2 月、日本で初めて治山治水を説いた法令が発布された。その名も「山川掟」というこの法令は、たった3 か条からなるとてもシンプルなものだった。 一、近年は草木の根まで掘り取り候ゆえ、風雨の時分、川筋へ土砂が流出し、水行き 留まり候ゆえ、今後は草木の根を掘り取る ことを禁止する。 二、川上左右の山に木立がなくなりたる所々は、当春より木苗を植付け、土砂が流れ落ち ざる様にする。 三、川筋河原等に開発された田畑は、新田畑はもとより古田畑であれども、川に土砂が 流出する場合は耕作をやめ、竹、木、葭、萱を植え、新規の開発を禁止する。 新田開発がブームとなり始めた当時、行き過ぎた開発による土砂流出やそれに伴う洪水の頻発を背景に、この掟は作られた。 山と川は一体のものとして人々の暮らしの中に存在し、川の問題は即ち山の問題、山の問題は即ち川の問題であった。山と川の間にどれだけの田畑が作れるか、またどれだけの人々が生きられるかは、山と川の大きさや形など、地形や気候に規定されていたのだと思う。 さて、それから約340年の時を経た現代。昨年から施行されている改正森林法(平成13年7月改正)の中で、森林はその機能別に「水土保全林」「森林と人との共生林」「資源の循環利用林」の3つに分類され、それぞれの機能に適した管理・利用方法の方針が定められた。また昨今、豊かな海を求める漁業者らによる「漁民の森づくり活動」が全国各地で広まりを見せている。水の循環の輪の中で、人はその最大限の恵みを求めて、今日も知恵を絞り、汗を流している。 <関連図書・URL>山川掟⇒『近世農政資料集(一)江戸幕府法令(上)』 |