|
|
教養学部2年 楠田詠子
2000年の9月下旬の一週間、「第5回アジア太平洋NGO環境会議(インド会議)」という国際会議に参加しにインドへ行った。この会議はアジア・太平洋地域の15カ国から約200名が参加したものだった。私は一学生として、日本の環境問題の研究者やNGOの方々(多くは日本環境会議関係者)に同行させていただいた。会議は9月22日から25日の間開催されたが、私たちはその前にオプショナル・ツアーとして、農薬工場の大爆発事故のあったボパールという地方都市を訪れた。
ボパール事件は、1984年にアメリカ系企業ユニオン・カーバイド社(UC)の農薬工場が大爆発を起こしたもので、周辺住民にたくさんの死者や中毒患者を出した。UCの工場跡地には大量の未処理の化学物質が放置されたままである一方、UCの最高経営責任者は逃亡中である。多国籍企業による典型的な公害輸出のひとつと言えるだろう。ボパールでは、UC工場跡地、被害者のための作業所(現在は閉鎖されている)、被害者のための病院などを見学し、被害者や支援団体の方にお話を聞かせていただいた。事故から15年も経った今でも被害者には十分な補償がなされておらず、現在も被害者団体や支援者団体は集会を開いたり様々な活動を続けているそうだ。その主体となっている女性たちの力強さが印象的だった。
会議は、有名なタージマハールのあるアグラで行われた。参加者はインド人が最も多く、次が日本人だった。地球温暖化とエネルギー政策、湿地と水資源の保全、環境教育とNGOの活動、インドとアジアにおける環境問題の4つのセッションに分かれて行われた。英語を母国語としないためわかりやすい発音の人が多かったが、やはり英語力の重要さを痛感した。中でも、会議の合間のTea Breakの時間や夕食などの時間に参加者と話せたことは、私にとっては新鮮な体験だった。
アジアに出て行くことは初めてだったこともあり、正直会議よりもインドという国から強烈なカルチャーショックを受けた。インド人や文化に接する中、環境問題もさることながら、インドと近代文明・先進国との関係を考えさせられる一週間であった。
|
|
|