環境の世紀X (担当:廣野) Aril 18, 2003 「環境問題の常識・非常識 〜相手の立場に立つ〜」 今年のコンセプト:『常識を見つめなおす』 これが、環境の世紀Xのコンセプトである。環境問題という言葉は言われて久しく、 多くの人が関心をもっており、それなりの解決策も立てられている。それにもかかわ らず環境問題が解決されないことに対して、解決策の実行・実践が不十分であること が問題だとよく言われる。しかし、野田さんは、「今回の環境の世紀Xでは、解決策の 実行が不十分なのではなく、そもそも解決策の目指す方向が間違っているのではない か、解決策の徹底度を高めることよりも、解決策の目指すべき方向を確認することの 方が大切なのではないかという問題意識を強調していきたい。」という。『常識を見 つめなおす』というコンセプトは、そのような問題意識を象徴する言葉なのである。 (環境三四郎ウェブページhttp://www.sanshiro.ne.jp/より) §1 常識の変遷 常識 common sense 明治時代に英語の<コモン・センス>が日本語に訳されたとき、<通常理解><通 感><常情><情識>など、さまざまな訳語があてられたが、明治14年に<常識>と いう訳語が登場し、明治末には一般的に定着した。その当時から今日に至るまで、常 識という語は、およそ三つの意味をもっている。(1)普通の社会人がもっているべ き知識、ないし理解や判断力。これが<常識>の基本的な意味であるが、これを軸と して、互いに相反する二つの意味が生じてくる。つまり、(1)の長所が積極的に理 解されると、(2)すぐれた見識、いわゆる<良識>という意味になる。また(1) の短所が否定的に理解されると、(3)通俗的で陳腐な考えという意味になる。この ように、<常識>はさまざまな意味をもっており、ときには称賛語になり、ときには 非難語になる。(丸山高司「常識」『岩波 哲学・思想事典』岩波書店、1998、771頁 ) 「公害問題」から「環境問題へ」 1970年代には環境問題という語が使われることは少なく、1980年代末に環境という 語の使用が急増したという経緯のために、環境問題は最近十年ほどの問題であると考 えられがちだ。「公害問題はもう古い、これからは環境問題を考えなければならない 」という言い方はすでに1970年代には出現していたが、80年代末にはさらに声高に唱 えられた……。(篠田真理子「生態学と環境思想の歴史」、廣野・市野川・林編著『 生命科学の近現代史』勁草書房、2002、227-266頁、229ー230頁)。 公害対策基本法 1967年 庄司光・宮本憲一『恐るべき公害』岩波新書、1964年 原田正純『水俣病』岩波新書、1972年 庄司光・宮本憲一『日本の公害』岩波新書、1974年 カーソン『沈黙の春』1964年 環境三四郎 1993年 環境基本法 1993年 かつては「環境を守らねばならない」特に自然や動植物を大切に扱わねばならない、 といったことが一般的な認識でなかった。そういう時代があった。自然保護や公害の 時代。いまでいう”環境”という発想がない(すくなくともコトバとして)。なんで 対処しなきゃいけないのか、そういう説明がまず求められた。「なぜ」「why」が中心 の倫理問題だった。 しかし、もはや時代は次へ進んだ。 「環境問題」は「社会問題」になった。環境に配慮、自然を大切に、といったような ことは(大多数のすくなくともタテマエとしては)「常識」になった。そうすると「 循環型社会」「経済との対立」「自然はそのままに」(※)そういうところまでも固 定化されて「常識」になりだしている(なっている?)。 今度はそこ(※)がどれだけ本当なのか、説明をする時代になっている。 §2 常識再考 2−1 「循環型社会」 循環型社会形成推進基本法 2000年6月2日(金) 環境省大臣官房廃棄物・リサイクル対策部循環型社会推進室『循環型社会 平成13年 版』ぎょうせい、2001年 環境省大臣官房廃棄物・リサイクル対策部循環型社会推進室『循環型社会 平成14年 版』ぎょうせい、2002年 槌田敦『環境保護運動はどこが間違っているのか』 JICC出版局、1992年 武田邦彦『リサイクル幻想』文春新書、2000年 2−2 自然保護 常識:開発←→自然保護 手つかずの原生自然(wilderness)をできるだけ残す レオポルド(Aldo Leopold,1886-1948)生態系主義? 害虫・害獣は? シンガー(Peter Singer,1946- ) パーソン論 疑問視:動植物のために人間を圧迫してよいのか e.g. 白神山地 遷移・極相説の再検討、順応管理 京都のアカマツ 鬼頭秀一『自然保護を問いなおす』ちくま新書、1996年 鷲谷いずみ『生態系を蘇らせる』NHKブックス、2001年 §3 常識再考再考 環境問題のいくつかの特徴 (1)広域性:影響は一部にとどまらず拡散する(地球環境問題が一番顕著) (2)科学依存性、科学の普遍化志向、状況依存性への弱さ、ローカルノリッジ セラフィールドの汚染 (3)不確定性:科学的に定まりきらない部分の存在。 ↓ たとえば「温暖化している」というところまでが科学的にコンセンサスを得ている。 原因が人為的、そして人為で対処しうる、という点は科学的にまだコンセンサスは得 られていない。ダイオキシンなどは悪影響がはっきりとでだす境界の点(量)が存在 するが、発ガン性や放射能の影響はゼロからなだらかにあがり、線引きは「自然界に こんぐらいあってこんぐらいは日常的」といったものになっている。 ベック『危険社会』法政大学出版局、1998年(原著、1986年) 藤垣裕子『専門知と公共性』東京大学出版会、近刊 熱力学の法則・エントロピーの法則といった、自然科学の大原則にはさからえない。 しかし、それ以外は「常識」に近く、時代や社会でけっこう変わるのではないか(現 代の科学的学説を含めて)。「科学的」とは言えない領域をたくさん含んでいる。 どこが変えることのできない部分(真理、科学的真理)で、どこが変えることの出来 る部分かを見極めることが肝要。変えることのできる部分でも、どこが変えやすいか 、変えにくいか、どこを変えるべきかを吟味すること。 不確定性部分に関しては、どう「価値観」「合意の形成」をするかが問題、ポイント となる。 ヘア(Richard Mervyn Hare, 1919-2002)選好功利主義 山内友三郎『相手の立場に立つ』勁草書房、1991年 日本の特徴は、公害問題と環境問題・自然保護問題とが切断されてしまっていると いうことだ。自分の身の回りから思考し実践するということが、グローバルな状況に も直結している、というのが環境問題に特徴的なことであって、「公害問題から環境 問題へ」という歴史的な捉え方は、問題の核心を見失う危険性をもっているし、現に ある公害とその派生形態(「公害輸出」を含めて)の存在を隠蔽するイデオロギー的 作用を持っているだろう。(丸山徳次「われわれの応用倫理学の源泉としての<水俣 病>」、川本編著『応用倫理学の転換』ナカニシヤ出版、2000、78-103頁、86頁)。 倉阪秀史『環境を守るほど経済は発展する』朝日選書、2002年 順応管理か、ドイツ型景観生態学的発想か? マスコミは一方通行である。結局、そのときどきのニュースバリューばかりが求めら れる。一般人、消費者も明確な答え、分かりやすさを求める。結論を知りたがる。そ れがトレードオフや問題の複雑さの認識を妨げる。 槌田:温暖化問題は自然的気候変動にすぎない 米本昌平『地球環境問題とは何か』岩波新書、1994 **************************************************************************** 4月18日 廣野喜幸 「環境問題の常識・非常識 〜相手の立場に立つ〜」 25日 佐藤 仁 「環境問題における常識と非常識」 (新領域創成科学研究科環境学助教授) 5月 2日 大矢 勝 「不安をあおる消費者情報の背景 〜洗剤・化粧品分野を例に〜」(横浜国立大学教授) 9日 安井 至 「環境問題の過去・現在・未来」 (生産技術研究所教授) 16日 原 剛 未定 (早稲田大学アジア太平洋研究センター教授、 毎日新聞元論説委員) 30日 井手 任 「人為が育む自然−農村の景観と生き物の関係」 (農学生命科学研究科緑地創成学客員助教授) 6月 6日 石見 徹 「環境と経済」 (経済学研究科教授) 13日 城山英明 「環境政策決定のディレンマ 〜規制の単位、情報の不確実性、リスクトレードオフ等を題材として〜」 (法学政治学研究科助教授) 20日 沖 大幹 「地球をめぐる水と水をめぐる人々」 (生産技術研究所助教授) 27日 未定 (学生枠・自由枠) 7月 4日 梶山正三 「ほんとうのゴミ政策へ 〜循環型社会の虚構〜」 (弁護士、理学博士、 たたかう市民とともにゴミ問題の解決をめざす弁護士連絡会 会長) 9日 小宮山 宏「地球持続の技術」 (工学系研究科教授) 11日 最終回ディスカッション(複数の講師による討論)