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研究者インタビュー
丸山真人




― 日常生活で、環境問題に対して、心掛けていることは何でしょうか?

 特にないですが、結果的にはあまりものを消費しないということで本は買いますが耐久消費財を買い換えたりはないですね。ゴミを捨てるときは、地域の指示にしたがってリサイクルできるものは出したり、新聞は民間の業者が引き取る場合はそちらに出したり、近くの小学校などで回収するときは回収場所まで持っていたりしていますね。

 そんな程度でしょうか。


― 原子力には、賛成でしょうか?

 基本的には反対です。


― 遺伝子組み替え食品については、どう思われますか。

 これはまだ分からないところが多いです。分からないので、開発は慎重にしてもらいたいです。


― 講義のときに心掛けていることは?

 ここ(駒場)は本郷と違い、まず1、2年対象の講義が多いということと、1、2年生対象の場合は分野の違う学生がたくさん来ているということがありますので、できるだけ専門分野の狭い話はしないようにすることを心掛けております。


― 東大の環境問題に対する取り組みは、十分だと、思われますか。

 東大が何をなすべきかという問題から論じなければならないのですが、十分ということはないと思います。


― 地球の未来は、明るいと思われますか?

 どうでしょうね。あまり明るくないと思います。


― 東大の環境問題に対する取り組みが十分でないと、おっしゃられましたが、例えば、どのような部分が十分でないと、思われますか?

 大学院レベルで柏キャンパス構想というのがあって、環境関連の講座ができ教官があちらに行きましたよね。その結果として駒場での環境教育が手薄になってしまったという感じがします。つまり、柱がないというのでしょうか。だから、それぞれ個人的に環境問題に関心があって授業の中に生かしている人はいると思うのですが、それが体系だって環境問題を学べるようなカリキュラムになっていないという問題がある。それが一つですね。

 それから日常の身の回りのゴミ問題に対しても、必ずしも意識は高くなく意識の高い人は少ない。大学で生活をするということ自体が共同生活をしているという意識とはほど遠いというものですから、個人個人がばらばらになってしまって、結果としてキャンパスにおける公共性を考える機会が少ないのではないかと思います。


― 今、駒場で環境問題をやっていらっしゃる先生というと、やは、丸山先生ということになると思いますが、先生の研究テーマというのはどういうものなのでしょうか?

 僕はもともと経済学なので、環境と経済の関わりというところに一番重点をおいています。

 基本的には環境問題というのは人間の経済活動が引き起こしているという考え方ですね。そうすると、環境問題の解決を図るという時でも人間の経済活動そのものを反省するという方向でものを考えるという感じになります。


― そういう観点から、地域経済研究のようなゼミをなさっていると、

 そうですね、自分の中ではやはりつながっている。


― 先生は昔、マルクス経済を専攻していたと聞きました。その後エントロピー経済へ転向されたと思うのですが、その時影響をうけたことなどお聞かせ下さい。

 一番影響があったのは玉野井芳郎先生で、駒場で経済学を教えていた先生ですね。

 彼自身が経済学説史、マルクス経済学説をやってきた先生で、60年代に近代経済学の手法も学んで両方の経済学を比較検討しながら、両者に欠ているものが自然の認識というもの、エコロジーの視点というものがあるということを言い始めたのが70年代の初め。

 僕が大学に入ったのは74年ですけど、玉野井先生の講義を受けたのは経済学部に行ってからなのですね。76年に玉野井先生が「経済学方法論史」という、経済学の歴史なのですが、方法論史という講義を持って、それを受講したのがきっかけで、そのころから、エントロピー経済学に関心をもつようになりました。

 だから、専門家としては大学院に入ってマルクス経済学の研究をやるのですが、その時同時にエントロピー経済をやり始めたのです。


― 先生が環境問題をやり始めたのは、エントロピー経済に触発されて?

 触発されてです。

 社会的に言うと、あの頃はスリーマイル島の原発問題があったり、四大公害訴訟があって、それから2度のオイルショックを通して資源が有限だという認識が広まって、省エネの問題がありました。

 何かと経済活動に対する環境的な制約があるという問題が議論されていたわけですね。で、人間の力によって、制御不可能な原発の暴走とかいうような事故があって、それでこれは今までの経済学はあまりにそういった経済システムの外側に広がった自然との関わりに無関心だった、ということが分かってきて、それでこれは、学問としてもやはり広い意味の経済学、自然と人間の関係を中に組み込んだ経済学をやっていかなければならないと思ったわけですね。


― エントロピー経済は、自然と人間の関係を組み込んだ経済学ということですが、今までの経済学で考えられていたものの中で、考えられなくなったという様なものがありましたら、お教え下さい。

 例えば、経済成長という概念ですね。従来の経済学であれば、経済が成長するというのは当然の前提だったわけですが、その成長を続けていく中で、最初は資源問題という形で成長のために必要な素材が不足するという大問題がでてきてですね、このままの右肩上がりの成長路線が続けられません。堺屋太一が、『油断』という小説を書いたのもオイルショックの頃で、言ってみれば、その経済行為の入り口のところに立ちはだかる環境問題だったということですね。

 今度はだんだん廃棄物の方の問題が大きくなってしまって、そして、経済活動の出口の所で環境の制約というのが出てくる。

 やはり、経済成長、無限の成長というものに対する壁になっている。このことがだんだん明らかになっています。だから、基本概念としても、成長とか発展というのを一般化できないというのが、エントロピー経済で初めて認識できるということです。


― 今までの経済の考え方では、発展というものが前提となって、環境問題を解決するには、役に立たないのですか?

 役に立たないどころか、有害であるということですね。


― エントロピー経済の課題というか、今、先生がなさろうとしていることは?

 それはですね、自然と人間の関係というのは単に生物レベルでのエコロジーの話ではなく、人間が人間社会を築いて、自然との関係を作っていく、あるいは作り直していくという関係だと思っております。

 だからそうすると、最終的には経済活動というのでしょうか、社会の在り方をどういう風に捕え直していったらいいのか、ということに問題の関心があるのですね。

 そういう点でお話ししますと、社会を成り立たせているような様々な制度とか、基本的な人間関係というようなものを問い直していきたいのです。それで何故地域社会に注目するかというと、社会には適正な大きさというものがあるのではないか、という風に考えるからです。顔の見える人間関係を大事にしていくということが最終的には、単なる経済人同士の商品交換関係ではなくて、信頼に基づいた相互扶助とかですね、ボランティア活動を活性化させる条件になると思います。

 もっと具体的にいうと、今一番関心があるのはお金のことなのですね。お金は人と人をつなぐ道具であると同時に、人を支配し、押しのけて、競争で振り分けていく道具でもあるわけです。そういう両義性を持ったお金というものを、今まであまりに交換手段という単純な概念でしか捕えていなかった。これをもっと、新しい社会関係を作る可能性を秘めた道具として捕え直していく。

 そのために必要な貨幣制度ですね。僕は、ローカルマネーとかエコマネーとか、そういうことを最近関心をもって調べているのですね。今までのお金とは違うお金の使い方というのを、いろんなコミュニティの方が追求し始めているのですが、これがひとつの適正な社会;コミュニティを作るという実践の中で行われているわけです。

 それがすぐ環境問題を解決する大きな力にはならないかもしれませんが、どこかでやはり、新しい環境調和型社会を作るきっかけを与えてくれるような、そんな可能性を持った運動の一つではないか、とそういう風に思っているのです。


― 先生の社会との接点は、そういう風に、研究するということになるのでしょうか?

 僕はやはり大学で教えることが仕事ですから、教えるためには研究しなければならないということなのです。その研究というのが現実の社会を見て、それを言葉にして、まとめていくという作業になると思います。もちろん、日常生活者として社会にコミットして、何らかの積極的な提言をしていくということが期待されているのかもしれませんが、それは自分の研究を通して、それを社会に発表していく、明らかにするということで対応していかざるを得ない面があると思いますね。

 だから見方によっては、僕がやろうとしていることは大学の範囲内でただものを考えているだけではないか、といわれるのかもしれない。そう言われると、否定の仕様がない。けれど、新しいものの見方を示すということで何らかのインパクションをですね、多くの人に与えられればというか、いろんな人に、環境と人間との関わりについて新しい見方で考えればこんなことも可能なのか、という驚きを持ってもらえれば僕の役割は果たせるな、とそういう風に感じているのです。


― 発表の場としては、エントロピー学会とか、そういう学会なのでしょうか?

 色々あると思うのです。論文を書いて出すこともあれば、将来的には本を書いて出すとかですね。

 いろんなセミナーや学習会に呼ばれれば、主旨が僕の考え方にあっていれば、そういうところには積極的に出ています。

 そういうことになると思いますけど。


― エントロピー学会というものに参加されていると思うのですが、それは、どういうことをする学会なのでしょうか?

 今僕がやろうとしているようなことを、学者と市民と公務員が集まってやっています。自治体の職員が多いですけど、学者の中には経済学者と物理学者がたくさんいますね。

 やはりみんなで学問研究、環境問題をエントロピー的な視点で考えるという、そういう共通の場を持って、そこで現場の人は今色々生じている環境問題とか、環境破壊の被害状況とか、公害反対運動とか、いろんな現場からの報告があるわけですね。

 それに対して研究者の側からは、今主流の経済学とか様々なプロジェクトを支えている支配的な考え方に対して批判を加えるという形で、現場の人たちが運動を展開していく過程での理論的な支柱を提供するのですね。

 そしてまた自治体の人は制度を作る側にありますので、そうした新しい考えと現場で反対運動をしている人たちの意見をよく聞いて、自分達のできる範囲内で自治体のゴミの制度とか環境対策の枠組みを作ったり、そういうバネにするという形で緩やかな相互協力をしている、という形なのですね。


― 話は変わってしまいますが、環境問題を引き起こす原因となっているものは何だとお考えですか。

 普通であったら「人間の欲望が無限であるのに対して環境は有限である」と言いたいところですが、それは現象の一つの側面です。人間の欲望は無限であってもう手のつけようのないものと前提をしてきた考え方が、環境問題を引き起こしていると言いたいですね。ある意味では、経済学が私たちの欲望は無限であると教えてきたのです。そのようなことを教わらなければ、限られた自然のなかでそれに適応して、その範囲内で慎ましく生活することが可能だったわけです。「慎ましく」という言葉は、物質はより少ししか消費しないけれどもその上に築き上げられる社会関係や文化的活動は豊かである、という意味を含んでいるのですが。


― それでは昔の方が、江戸時代の方が良いという考えをお持ちですか。

 どちらがよいか悪いかと言うことは不可能です。ただ、江戸時代の良い面をどう生かしていくか、再生させられるかというのが大きな課題です。そのためには経済学を丸ごと捨てるという訳にはいかないですね。経済学の中に、無駄を省いて効率をよく目的を達成する「節約原理」というものがありますが、その手続き自体は条件をつければ有効だと思います。環境経済学は基本的には節約原理の延長上で組み立てられています。問題なのは、経済の目標の設定や私たちの生活の質を何によって判断するかということです。それさえはっきりすれば、その枠組みの中でいかに無駄なく節約しながらものを消費していくかの知恵は出てくると思います。


― 環境問題を解決する策はいろいろ出ていますが、それが実行されにくいのはなぜなのでしょうか。

 端的にいえば、制度をつくる側の者や、産業、大企業の利益によって中立的ではなく、かなりバイアスを被っている結果であると思います。理念的には環境対策を強化する制度や政策を望ましいとかなりの人が個人の立場では分かっているはずです。しかし、実際には「そうは言っても現実は簡単ではない」と言ってそこで思考を停止してしまうのではないかと思います。そこでは、大企業が生き残っていくための戦略に引っ張られてしまうことがあります。また今年の「環境の世紀」の第1回であったように、官庁の縦割り行政が非常にネックになっています。そして、産業や様々な社会団体の利害の絡みの結果だと思います。


― 先生の言われている地域社会の発展によってそのような問題はなくなるということですか。

 簡単にはなくならないでしょうけれども、歯止めをかけるきっかけにはなると思います。


― 話は変わりますが、環境問題の定義は何だとお考えですか。

 これはすごく大事な問題ですね。いろいろ考えたのですが、これが最もらしい思っているのはハンスイムラーという経済学者の「経済学は自然をどうとらえてきたか」という本で彼がいっている言葉です。結局環境問題あるいは自然の危機というのは人間の生命の危機であるということなのですが、「生態系の危機の本質的な内実は物証的な自然が危機にさらされているということではなく、人間の本性が危険にさらされているということである」と書いています。これは非常に特徴的なのですが、自然をどう見るかが大事なのだということです。

 人間と自然を分けた上で今までは人間が自然を支配してきたからそれが環境破壊の原因だ、だから今度は自然と人間を対等とするか、自然を人間より上の概念として人間は謙虚にしなくてはならないという話になります。場合によっては、人間が不利益を被っても自然を守らなくてはならないという考え方が出てきます。しかし、ここで言っているのは、あくまで自然に依存して自然によって生かされていることを踏まえた上で、結局自然を破壊することは人間自身の生存を否定する、跳ね返ってくるということです。この考え方からいったら、環境問題とは何かといえば人間の生命の危機を表していると答えたいと思います。


― 最初の質問で、地球の未来はどちらかと言えば明るくないとおっしゃっていましたが。

 やはり人間の生命の危機は簡単には回避できない気がします。


― 環境問題を解決するための大切な要素とは何でしょうか。

 僕は社会経済的な人間関係を考えているので、まずは人間が生きるというリアリティーを社会関係の中にもう一度見いだしていく、再発見するということだと思います。もっと具体的にいえば、今人間関係は希薄になってきていると思います。

 仲の良い友達を見つけたらとことん付き合うという深い関係はあると思いますが、それは非常に脆いもので、ある日突然折れてしまうかも知れません。家族の関係といっても核家族ですから家族の数自体が限られて、付き合いも限定されます。隣近所といっても通りいっぺんの挨拶で終わってしまうことも多いです。私たちは多くの人と付き合っているように見えるのだけれども、その人間関係自体は意外と脆くて浅いのです。それが自分が住んでいる空間の認識を抽象的にしてしまうのです。掛け替えのない隣人達や人間ネットワークがあると、そういう人たちでつくっているコミュニティーの意識はもっと濃くなります。その全体の生存が脅かされることに対しては「NO」という反応が強く出るはずです。それが環境問題に対してそれが問題だという出発点になるのかも知れないし、環境問題を解決するために何かしていこうとするときも、その「何か」もコミュニティーないしネットワークの中で具体的に考えられるようになります。

 もう一つ、時間軸をいれて、先祖から子孫に至るまでの流れの中で自分が生きているという認識が大事だと思います。それは、先祖から受け継いだ生活環境を子孫へ譲り渡していくという考え方の基になります。今、それが弱く、親子関係や流れを文化や大きな歴史の中でとらえにくくなっていると思います。ですから、社会のあり様を問い直していくことが環境問題に取り組んでいく出発点でなければならないと思います。


― 今、情報化や国際化と言われますがそれは逆にマイナスになっているのでしょうか。

 それに流されてしまうという意味ではマイナスになっているかも知れません。あるいはどう使うかの問題であってそれを否定するということではありません。


― 親子関係が希薄ということは何が欠如しているのでしょうか?

 それは暮らしている場所の認識です。場所というのは家があってそれを取り巻く自然空間、環境というものがあって、それに親たちがどう接してきたのかということを理解することから始まると思います。今の都会の生活様式ではそれが成り立ちにくいのです。


― 昔は家意識がありましたね。

 ある意味ではアメリカ的な人間関係、人付き合いを理想視してきたつけが回ってきたということです。大体今の日本社会を見ていると10年遅れでアメリカの社会を追っています。僕がカナダに留学していたのが84年から88年なのですが、その頃北米でみられた非常に危うい人間関係が今東京で広がっていると感じます。


― 今、アメリカでは人間関係はどうなのですか。

 そこがまた面白いところです。あそこは、子供の虐待や家庭内暴力があちこちでしょっちゅうあり、日本でも見られるようになり、そういう意味でアメリカの後を追っていると言ったのです。ただ、面白いといったのは、公共性、パブリックなものへの意識が高い点です。キリスト教の伝統といわれますが、他人と接するときのマナーやルールというのがあって、さっきと矛盾するようですが端的に言って他人と接するのが気持ちの良い社会です。日本では電車の中で、傍若無人で携帯電話を使用したり、お年寄りに席を譲らない若者が多いと言われますが、アメリカでは人に言われなくても年輩の人や体の不自由な人がきたらさっと譲るのです。単なるインテリだけでなくて、ふつうの人がしているのです。それが一般的になっています。建物の中のドアでも身障者が来ればさっと開けるということは老若男女、貧富の差なく誰でもしていることです。ちょっとした違いではあるけれども、すごく気になることです。


― 地域性があるということなのでしょうか。

 かなり頑固な地域性がある所なのでしょう。「Not In My Back Yard」というゴミ処分場は自分の家の裏には絶対来させないという言葉がありますが、そういう地域性が非常に強いところもあります。


― アメリカの社会の方が日本の社会より環境問題が起きにくいのでしょうか。

 そうではなくて、問題化するときは大きく問題となるのです。昔ラブキャナル事件というのがあって埋め立て地にダイオキシンがあってその上に家を建ててしまって住んだ人たちが病気になる事件がありました。建築基準法に明らかに違反していた行為だと思いますが、問題化しなければ危険なものを日常社会に浸透してくる可能性は持っているのです。だからアメリカが安全な国とは決して言えません。

 問題が起こったときに、組織化して反対運動に持っていく力は、地域社会の防衛として非常に強いものがあります。問題が起こったときにそれにどう反応するかという点でアメリカの社会では日常生活における公共性という意識があって反応するのだと思います。


― 日本にはそれがないということですか。

 ないことはないけれども弱いです。ネットワークは素早くたくさんできるのだけれども、なかなか力になりにくい構造だと思います。そういう意味でも社会のあり方を変えていく必要があると思います。


― そこで先生の研究が生かされてくるのですね。

 生かしたいと思っています。


― 人間関係というのは日本についてのことなんだと思いますが、環境問題というときグローバルな視点でみてみると、発展途上国とかも大きな割合をしめていると思うんですけど、そういう場所では、日本はものは豊かになったが心はすさんできているとか、発展途上国の子供の方が目が輝いているとか言われます。
 そういう点では、意識とかバックグラウンドの面では発展途上国のほうが進んでいるというか、希望が持てると思いますが、解決するためには力関係とかお金とかそういうものが絡んでくる上で、なかなか踏み出せない状況なんでしょうか?

 すごくおもしろい、いい質問ですね。途上国というか貧しいと言われている地域で、子供たちの目が輝いているというのは、やっぱりそこに生活のリアリティという環境の中に溶け込んで、人間が家族や社会を築き、今まで営んできた蓄積があって、持続可能な社会を作ってきた表れだと思います。それが先進国側の理由によって破壊されようとしているというのが問題で、開発がうまく進まないというのは、そういう持続可能性を否定しようとしてきたためだと思います。開発するということの意味は、そこに市場社会を築いて、工業化が可能なように、自由な労働力を都市に引っ張り込んでくるというプロセスですから、はたして先進国型の工業社会が途上国がわの子供たちに本当に必要だったのか、という問題を考えるとかなりクエスチョンマークですね。ところがメディアが大衆化してアメリカ型の商品化社会が豊かだ、という宣伝がされて、もの珍しさもあって子供たちの目がだんだん都会に向くようになって、そしてだんだん目が濁ってくるということになると思います。途上国の人たちは、我々日本人がすでに失ったものをまだ持っている。彼らが持っている価値を大切にしながら、違った開発の仕方を考えることができないだろうか、ということになってくる。そのためには我々日本人、先進国の人間はどういう協力体制をしくのがよいのかという話になると思います。

 一例をあげれば、エビなんかを途上国の海からどんどん日本が買い占めて、現地のひとはエビなんか食べられなくなってしまう。そういうのはやっぱりおかしいといったことを日本人自身が感じとる感性を育てなければいけない。環境の世紀でもそういう話をしていましたけど日本は森林が豊かな国なのに、どうして東南アジアから木を輸入するのかという問題です。これは日本人が東南アジアから木を輸入する努力をもっと自分たちの山に自分の山に向ければもっと変わってくると思います。そういう意味では途上国への開発援助というのは、日本人自身の問題であって、日本の国土、風土をどうやってサステインするか、持続可能な形へもっていくか、ということです。僕はそれが途上国の人たちへの本当の連帯だと思う。だから、そういう価格の不自然なシステムをもういちど考え直さねばならない。そうすると自由貿易といいますが木材の価格とかほんとうに自由な交渉で決まっているのかどうか、すごく疑問です。政策的にうんと低く押さえられている可能性もありますし、環境への負荷っていう外部コストを内部化するともっと木材の価格は高くなければならない。そういう外部性というものが十分議論されていないのはおかしいと思います。


― 税金などですか?

 そうですね。環境の価値を関税とかで反映させていく。そういう意味ではWTOには非常に批判的です。


― 最後の質問みたいになってしまいますが、環境についての研究を志している学生たちになにかメッセージをお願いします。

 常識的なことかも知れないけれど、環境問題のことを取り扱っている学問は非常に幅が広い。環境学の専門家になろうという志を持っている人には、大きな困難が前に立ちはだかっているという気がします。やはり環境学自身が総合学であるから、専門的なディシプリンという考え方にはあわないような面がある。だけど研究者、特にそういう環境を研究していこうと思うならば、どこかで専門領域を持たなければならないという要求がある。だから環境監査、環境倫理学とか環境社会学とか、なんらかの学問に環境をくっつけたような学問が実際存在しているというのは、環境学そのもので食っている人間はそんなにいないということの表れでもある。だから、志は大きくもって、なおかつなんらかの切り口をもって環境問題を研究する道を歩んでほしいと思います。たまたま僕の場合それが経済学というルートから入っていって、環境問題を考えるということにつながったということなんですが、法学でも工学でも、なんでもいいと思います。将来自分が環境問題を考えようと目標を定めたら、それになるべく近づいていけるような形の専門領域を見つけてほしいと思いますね。


― いわゆるT字型とか、そんな形で専門領域を広げろということですか?

 いや、僕はすこし違うんですよね。T字じゃなくてむしろ・・雲散霧消型じゃないですけど、ある時期専門をかなり深いところまでやる。だけどいちど環境という領域に到達したら一度専門を忘れて環境のことに取り組む。間合いの取り方が難しいんですけどね。一度T字型でばーっといってその上に横軸を乗せるということだと、殻が破れないんですよ。


― 専門をやっていきつつも全体を見る目を忘れずにということですか?

 僕が何をやっているかといいますと、経済学自身を内側から問い直す作業なんです。だからT字型の軸のところを、狭い経済学をやりながら、経済学の限界性を明らかにしていく。これと並ぶ形でこうもう一個考えないといけないんですが環境学というのはそっち側の広い軸を包む形で存在していると僕のイメージにはあるんですが。


― 環境学はすべての学問に通じるということですか?

 というよりすべての学問を包括している、ということですね。


― では、全体を把握しながら、専門も忘れずにということですか?

 専門を新しく作り替えていくぐらいの意気込みでやるといいと思います。環境の方から見ないと専門の学問の限界とかが見えない場合があるんですよ。


― 経済学とかは完成されたように思うんですが・・

 それはある意味ではもうそれでおしまい、ということもあるわけです。完成してしまえば学問は過去のものになるとおもいます。変な言い方ですが。


― 環境の方から見るとまた別の発展の仕方があるということですか?

 いちど壊してからね。壊れないものはそっと博物館の方にしまって、また新しいものを考えていく、そういう繰り返しですね。


― さっきこの本に「自然の危機ではなく、人間自身の危機だ。」みたいなことが書いてあったと思うんですが、途上国からの輸入とかの問題はそのようなものにあたると思うんですが・・

 まあ確かにそういうことですね。環境問題を引き起こすのは人間だけど、その結果が人間自身に返ってくる。それが生命の危機としてあらわれる、それが環境問題の本質でなかろうかと思います。

 僕はそういう意味では環境倫理の人たちの考え方とはとは少し違う。環境倫理っていうのはすこし極端な問題をたてるわけで、このまま人口が増加していくと、食料の供給が追いつかなくなって人間はみんな消滅してしまうぞ。それでもいいのかという問題を立てるわけで、それでよくないんであれば人口を抑制する方法を考えなくてはいけない。そうすると人間は欲望を断念しなければならない。生活のあり方を根本から見直さないといけない。ある意味では非常にわかりやすい議論ではあるんですけど。それでは僕が言ってきた社会性、地域性、具体的につながった時間の流れとかという問題意識とどこかですれ違っているような気がしてならない。うまくいえないんだけど。加藤尚武さんなんかの環境倫理とかは僕はなんか受け付けないんですね。


― 環境問題をひろく環境問題としてとらえるときも個別に具体的に問題があると思うんですけど、その中で関心があった問題とかありますか?

 今でもそうですけど、僕が学生だったときは反核運動という核の問題をどういかすかということが環境問題では大きな位置を占めている気がしますね。僕が興味を持ったのは原子力発電に対する反対運動と、核兵器に対する反対運動がどこでどう結びつくのかということだったんですが。現在でもそうですけど、核の軍事利用は反対するが、平和利用は条件付きで認めようという流れがありますが、どうも核の利用に条件をつけようなんてはじめから無理なんじゃないかというのが僕の直感ですね。制御不可能なものをかなり無理をしてコントロールしている。しかも燃やした結果がプルトニウムとなって、何万年も人間を苦しめる。これはもう究極の環境問題なんじゃないだろうかと思って、そういう考えを持っている人が一体どのくらいいるんだろうかということに関心を持ったんです。エントロピー学会はそういう意識を持った人が集まったんですけど。当時の左翼の運動とかも核の平和利用は取り立てて問題にしない、厳重な管理をした上で、日本はエネルギー小国だからそれはしかたがない、という話が多かった。

 それとの関連でいうと、もうひとつおもしろかったのは省エネ運動ですね。オイルショックのときに、これからは資源は有限だからできるだけエネルギーをきりつめていこう。例えば夏は冷房は28度以下には下げない。暑ければ半そでになればいいということで中曾根さんをはじめとして皆半そでの背広をあつらえて省エネルックというのがはやりまして、いまも岩田先生が夏はそういうものを着て活躍されてますが、いつのまにかそういう運動が下火になってしまったのはどうしてかなっていうことにこだわりをもってて、あのときあの運動をやってやればできたじゃないかっていうのが僕の実感なんですけど。今は全くああいう意識もなくて冷房なんて一年中かかっていろような気がして、4月から10月までかかっていて寒いくらいですけど電車とか寒いくらいですけど。

 それからもっと個人的なことをいうと、僕が一歩間違えばヒ素ミルクを飲んだかも知れないということがあって、うまれたの54年なんですけど、あのころ森永のヒ素ミルク中毒事件っていうのがあって、何ヶ月かのタイミングのずれで僕はあれを飲まなかったんですけど。もし飲んでたら・・ということで、ヒ素ミルク事件について無関係な気がしなくて、ああいう食品を扱うような分野で起こった公害、というか事故ですけど。ああいうことにすごくショックを覚えました。だから僕の環境問題の原体験っていいますとヒ素ミルク中毒事件だと思います。そして60年代の四日市の喘息、それから4大公害裁判、という形で環境問題への認識が形成されてきたような気がします。


― 現代まで発展してきた日本の負の部分が出てきたということですか?

 そうですね。中学のころまではアポロが月に着陸したとかで浮かれてましたけど、そういう反省のきっかけをあたえてくれたのは1970年なんです。あの時に大阪の万博があって、それから前後する形でNHKが環境のキャンペーンをやった。72年のストックホルム会議に向けてのキャンペーンだったと思いますけど、いままではベトナム戦争とか冷戦構造というか政治的なイデオロギー対立ニュースが連日流れていたのが、70年になったら急に公害、環境っていうことにシフトしていったんです。僕が高校にはいったのが70年だったから、ちょうど大学紛争とかそういうのが、安田砦が落ちて、沈静化していくそんななかでむしろ、環境問題、公害問題っていうものが社会問題として大きく論じられるような、そういう風潮があったと思います。そういう中で僕の環境問題の原体験、マスコミを通して入ってくる情報が意味をなしてくるようになったと思います。


― すこし時間がオーバーしてしまいましたが、これでインタビューを終わります。どうもありがとうございました。