財政の必要性
通常、経済学では、市場の失敗により国家が発生したと考えます。しかし、事実は、共同体の失敗を克服するために国家が誕生したと考えます。人間は自然を破壊するものです。しかし、共同体のもとでは、自然の再生能力以上に自然を破壊しません。さて、農業は、生きている自然を原料とし、自然を原則的には破壊しません。したがって、自然の再生が必要になってくるのです。この点が工業と違うところです。工業は、死んでいる自然を原料としているのです。ただし、西洋の農業は自然を破壊します。アラビア半島は、緑の半島だったのに連作によって砂漠になってしまいました。東洋の農業は、「水」に支えられて、持続的に営まれてきました。「水」は「森」によって支えられています、従って、例えば日本の神道では木を切ることが禁じられているように、日本人は「森」を大切に大切にしてきました。
ミャオ族(中国南部の民族)は、棚田で田んぼを作っている民族です。森林に囲まれて生きてきた民族です。しかし、いま、森林が伐採の危機にあります。きっているのは日本の商社です。日本の商社は世界から木をきりまくっているのですが、そのために、日本の森林はきられなくなりました。これは、「市場」が成立したためです。「市場」が成立したのは、日本でいうと明治時代以降であります。「市場」は「生産物市場」と「要素市場」がありますが、「市場社会が成立した」というときは、「要素市場が成立した」ということです。生産物の取引は昔からありました。要素市場とは、生産要素(特に本源的な生産要素=自然、労働)を取引する市場です。生産物は所有権が明確です(「この柿は、私がつくったものです」)が、生産要素は国家が所有権を決定させないといけません。市場社会においては、共同体の中から生産の行為が抜け落ち、生産の行為は企業に移行されていきます。共同体は、生産の行為を知ることができなくなってきました。
国家、市場、共同体、この3つだけでは社会は不十分です。その3つをまとめるために出てくるのが、財政です。「財政」という言葉は福沢諭吉が作った言葉で、もともと、public financeの略です。明治になって、初めてできた言葉です。
市場経済はなぜ生まれるのか
市場経済がなぜ生まれるのかというと、次の理由によります。国家や共同体は、ニーズ(人間が生きていくために必要なもの)は満たせるが、欲望(人間が生きていきためには必要ではないが、膨れ上がっていくもの)を満たすことはできない。どんどん膨れ上がっていってしまうのですから。その役割を果たすのが、市場です。しかし、市場はニーズを満たすのは不得意です。そこで、家庭や国家がニーズを満たそうとするのです。具体的に考えていきましょう。医療が満たすのはニーズでしょうか、欲望でしょうか。薬を飲みまくったり治療を受けまくったりはせず必要に見合って満たすのですから、ニーズになります。したがって、医療は市場にまかせてはいけない、ということになるわけです。
財政の課題
市場の影の部分を少し見てみましょう。本来、グッズとバッズはどちらも共同体によって、共有されていました。しかし、自然が市場に入り込むと、バッズは市場には出てきません。もうひとつ、家庭に見られるようなハウスワーク、これは市場に入り込んでいないため、無償の労働となります。これも市場にのっかりません。その市場にのっからないものを解決していくことが、財政の役割です。環境問題と、福祉。この2つの問題が市場経済下における財政の課題です。
環境政策
環境政策は、2つに大別されます。直接規制と経済的手段です。直接規制は、規制を守らせなければいけないのですから、背後に「暴力(正当化された力)」がなければなりません。経済手段には、税金、補助金、排出権取引の3つがあります。
企業は財とサービスを家計の購買力に応じて貨幣と交換します。それに対して、家計が配る財とサービスは無償で提供されます。また要素市場に労働を売ってお金を調達します。政府は財とサービスを無償で提供します。しかし、事業を行うためには、お金が必要です。そこで調達されるのが税金です。また、市場がニーズを提供することになる場合、補助金を与えます。
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