3−3、科学と政治
科学は真理の追究のためにあるものです。科学者は口をそろえて「真理の追究のために研究している」というでしょう。社会問題の外で研究していても許される側面も持っているのです。しかし、行政にはゆるされません。行政が「科学」を口にするのは間違っているのです。「科学的に何も分からないから、何もしません」このセリフを行政がいってはいけないのです。ゆるされないのです。
「真相の解明のために、一〇年や二〇年もかけて争うことは、迅速な紛争解決の見地から言っても、決して許されることではない。四大公害裁判によって、自明のこの理が、一般市民の間にも浸透したことは、大変よいことである。
では、疫学的な因果関係は、どのようにして判断されるのであろうか。・・・中略・・・
第一は、その因子が発病の前に作用するものであること。
第二は、その因子の作用する程度が著しいほど、その疫病の罹患率が高まること。これは量と効果の関係とよばれている。
第三は、その因子が除去されるか少なくなれば、疫病の罹患率、または程度が低下すること。
そして、第四は、その因子が原因として作用するメカニズムが、生物学的に矛盾なく説明できること。このことは、必ずしも厳密な動物実験を必要としない。」(『ジュリスト』より)
要するに、統計的に説明できればそれで充分だと言っているのです。水俣の場合、統計データはそろいすぎるほどそろっていました。患者の数、アセドアルデヒドの生産量、、、これらのデータを見れば、一目瞭然ですよ。しかし、当時原因をチッソに特定するために「無機水銀がメチル水銀にどのように変化するか」ということの証明必要とされていたのです。これは、世界の第1線の科学的知見を用いても難しいことですよ。それを待っていてどうするんですか。
「僕が教授だった頃は、水俣の問題はやってはいけないことだった。当時水俣のチッソは非常に有能な工場であって、第一線の研究者が働いている場所であり、それを否定する研究は行うことができなかった。」これは、西村肇先生の言葉です。最近になって西村先生は、退官後、科学工学的に水俣病に関する研究成果を発表しました。これは、大変細かい内容で、水俣病に関する全メカニズムが記されています。しかし水俣病が起こっていた当時は、東大工学部でチッソを研究する研究はタブーだったわけです。わたしは、大学における研究者の責任とはなんだろうということを考えさせられました。何千人と言う被害者を出しながら、研究ができなかったのです。「科学的な解明」は不可能だったのではなく、遅らせられたのです。
3−4、ネコ400号実験
次に、ネコ400号実験という有名な実験を紹介したいと思います。チッソ水俣病院の細川院長がネコにチッソの工場廃水をまぜたエサを与えつづけた結果、水俣病患者と同じ症状をしめしたという研究です。ネコ400号実験は水俣病が起こっている最中の実験ですから、ここまで分かっているのだから、この時点で排水がとめられるべきでした。しかし、排水はとまりませんでした。工場の利益、水俣市の経済状況に重大な影響がでるためでしょうが、ネコ400号実験は、排水をとめる大きなチャンスだったのに、とめることができなかったのです。さらに、細川院長がこの後研究を続けるためには、「この実験の結果を外にもらさない」条件を工場長であった市川正さんに言い渡されました。
「一例でもってね、判断するというのは非常に危険ですからね」(NHKの番組より)
これは、その場面を振り返って言った市川さんの言葉です。「1例で判断するな」ということは、私がいつも統計学の授業で学生に言っていることです。私は統計学の論理をこのような場面に持ってくるのは、統計学者として甚だ迷惑だと考えています。だって、統計学の立場からすると「1例で判断するな」ということは、ごくあたりまえのことなのですから。しかしこの論理を水俣病のような場合に使ってはいけない、のです。また、「1例で判断するな」というセオリーと同時に、「1例でも非常に重要なことだったら、その1例をうたがうべきだ」と統計学は考えるべきです。
細川院長はこの後研究を続けることになったのですが、しかし、実験に使う液は、自分で採取するものではなく工場長から渡されることになりました。後で分かったことですが、この液は、排水口のはるか遠くで採取されたものだったわけです。
3−5、メッセージ
今日も、同じことがどんどん繰り返されています。HIV訴訟でも同じ論理が繰り返されています。
「なんのためにサイエンスを勉強しているのか」これを意識しなければいけないと考えています。科学が、環境問題など人間の命にとっての重要な問題に関わる今日、このことを忘れてはいけない。最後のメッセージとしてみなさんに伝えたいと思います。
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