科学はあくまでも厳密でもあるべき。1%分からないことがあれば追求すべき。しかし、その1%のわからないことを理由に何もしないのは明らかにおかしい。3つの因果関係があると思われる。(前出の仕出し弁当を例に)
1.対策的な因果関係
仕出し弁当から中毒が出た時点で対策を立てる 販売禁止など
2.法的な因果関係
弁当のメニューの何が原因で、誰が責任をとるか
3.科学的因果関係
(原因が唐揚げだとすると)唐揚げの中のなんという菌か
3の科学的因果関係は次の予防には役立つが、必ずしも目の前の問題に役立つとは限らない。これを認識して、区別するべきだ。今までは科学的に不明であることを口実にして、「純粋・徹底的科学的」だといって対策を遅らせてしまった。
諫早湾の問題では、対策を立てるための因果関係は明らかだと思われる。しかし科学的な因果関係を明らかにするには2年ぐらいはかかるだろう。因果関係が明らかになるまで、対策を意識的に遅らせているとさえ思われる。目の前にある現実をみて、今何をするべきかという対策を早急に立てるべきだ。
研究者が慎重になることは間違いではない。ただ因果関係が特定できない場合にも、その研究状況を公表すべきである。新潟水俣病の例を見てみよう。椿博士が「これは水俣病だ」と確信を持ったのは、正式発表の6ヶ月前だった。その時患者の家族が「先生、何でもっと早く言ってくれなかったんだ」と聞くと、椿先生は「実はあのとき迷った。メチル水銀中毒だとは思ったが、三つの可能性(水俣病・水虫の薬・農薬)がある。そのうちどれか証拠がなくわからないから、発表できなかった。」というと患者の家族は、「ではなぜその時、三つ可能性があることを言わなかったのか。三分の一でも魚の可能性があることを知っていたら、元気づけるために患者に魚を食べさせることなどしなかったのに。」というのだ。これは、やはり椿先生は三つの可能性を発表するべきだったと思う。しかし、研究者はしばしば慎重になりがちなので、先取りする役割を行政が果たすべきである。
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